ふと思いついたこと
by namuko06
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信長の棺
d0053733_14212999.jpg 加藤廣著「信長の棺」読了。加藤氏にとって作家転向の第一作で、力作である。ストーリーは、信長の消えた遺骸を太田牛一が追求していく。本作では、愚直で頑固と評された太田牛一がその性格のまま活き活きと描かれていて、とても好感が持てた。しかしオビに書かれていた「...誰も見たことのなかった信長...」は、残念ながら、見えてこない。というか、すでに知っていた、想像していたことばかりだった。惜しむらくは、光秀が居城の丹波亀岡(亀山)城から反転し本能寺へ至る進軍ルートには全くふれられていないことだ。従来の老ノ坂越えという主要道路での京都侵入は、京都守護軍に見破られやすく、策を弄しても信長に転進が伝わってしまう可能性も高く、リスクが高い。一方尾根沿いの唐櫃越えは、一気に山を登り、下ることで一晩で京都へたどり着くことが出来るようだ。この唐櫃越ルートをとったのならば、光秀も丹波者と通じてると考えることも出来る。ただ、一万もの軍隊を細い尾根沿いにどのように進軍させるのか、問題点も多い。このあたり軍記記録者の太田牛一ならば、とても気にする点ではなかったか? 信長公記では「老の山へ登り、山崎を経て摂津の国へ出兵...」とある。しかし、老ノ坂峠ルートでは沓掛まで降りてこなければ、山崎と京都との分岐点はない。個人的には、老の山というのは、太田牛一もしくは書かせた秀吉の改ざんで、天蓋峠ではなかったか。篠、もしくは王子あたりから唐櫃尾根へ登り、唐櫃越ルートにより、松尾まで一気に下る。そして、樫原集落から一気に本能寺まで攻め上ったとも考えられよう。また、一万の兵を二つに分けた可能性もある。
 本書では光秀の謀反直前の行動まで追っていながら、謀反の進軍状況には無頓着である。この進軍ルートと秀吉との関係までもふくらましていたら、...本書の歴史観をさらに補強できたであろう。
 しかし、本書は読みやすい文体で一気に読めた。信長公記は、高校生の頃から何度も読み返しているが、作者の太田牛一についてはほとんど知ることはなかった。牛一の信長への思いや、秀吉にどのような心持ちで使えたのか、といったところまで表現されていて、活きた牛一像が、私には新鮮だった。信長の視点で読んでいた信長公記が、今度読むときは牛一の視点で読むことが出来そうだ。
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by namuko06 | 2005-10-10 18:00 | 読書
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