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ふと思いついたこと
by namuko06
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広い意味でのいじめはあったかもしれない
Excite News: 校長「背景にいじめ」 爆発事件で山口・光高
 悲惨な事件である。嫌なあだ名を呼ばれて苦痛だったらしいが、事件発生以来の学校側の記者会見や記事をみていると、どうも反応が鈍い。教育現場での大事件に、どのような対応をとってよいのか、何を話して良いのか、自身にどのような責任があるのか、把握できていないような会見だった。
 このような会見を最近見たなと思ったが、JR西日本社長の福知山線事故の会見ととても似ているのだ。なにが似ているのか。校長も、社長も起きた事件の責任を認識しないまま、淡々と起きた内容を繰り返し、原因は不明だと言い、あたかも別に事件の原因があるかのような口ぶりだ。また会見の態度も、目が泳いでいて、記者達をしっかり見つめることもできない。そして、時代遅れの「広い意味でのいじめ」という言葉が出てくる。「広義のいじめ」の定義は、いじめているつもりがないが、抵抗する手段が無い相手が精神的苦痛を感じることである。たとえば、会社の同僚(男)が、「やぁ元気かい?」と同僚(女)の背中を軽く叩くだけで、その同僚(女)が嫌悪感を感じた場合、セクシャルハラスメントとなり、これは広義のいじめである。
 このような広義のいじめは、いたるところで日常的に起きている可能性がある。まして、学校という閉鎖的社会では、起きる可能性はある。それが発生しているかどうかを常にワッチして、もしおきていれば、きちんとフォローするのが教師の勤めではないだろうか。なかなかわかりにくいという指摘は気持ちとしてはわかるが、こうした広義のいじめがあったことが、生徒達から教師に情報があがってこないという、組織のコミュニケーション硬直化が、根本にあったのではないか。また教師から教頭、校長への報告などのコミュニケーションも充実していたとは考えられない。
 問題の生徒の印象が校長と、ほかの生徒達のコメントが食い違っているのも、この学校が寡黙な生徒に対しては、関心を寄せていないことがわかる。「(おとなしい+成績が良い)=問題ない」といったステレオタイプで、人物評を行っていたことも明白だ。
 一方ほかの生徒は、彼の内心にくすぶっていた不満や、怒りをしっかりと受け止めていたようだ。「何かしでかしそうだ」というコメントに現れていると思う。
 「広義のいじめ」に話を戻そう。このいじめの場合、いじめる側に加害者意識が無いため、どうしても、被害者(いじめられる)側に非があるようにいわれがちである。また、被害者の周囲の人々も、傍観者になってしまうと、被害者が孤立化し、苦痛はますます加速する。その態度に、加害者はおもしろがって、いじめがエスカレートしていく。傍観者が、加害者側におもしろみを感じて、いじめに荷担するケースが大半で、被害者側にたって、いじめを食い止めることは少ない。
 こうやって考えると、「広義のいじめ」はあくまでも、いじめの発端、初期的な現象であって、いじめ自身なのだ。この高校の校長が「広い意味でのいじめはあったかもしれない」と、初期的ないじめがあった(かもしれない)という言葉は、自らの学校で何が起きていたか、まったく把握していなかったことを告白しただけだ。原因究明や追求する意識など、さらさらない、ということを白状しただけだ。
 悲惨な事件は、増殖する心の傷に誰も気づかず、ケアしようとしなかった教師や大人達、周囲によって、孤立化した生徒によって起きたのだ。そして、誰もが取り返しのつかない心の傷を負った。
by namuko06 | 2005-06-15 21:18 | ニュース
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