ふと思いついたこと
by namuko06
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カテゴリ:教育/子育て( 8 )
モラルジレンマ授業
ピアジェとコールバーグが提唱した道徳性の認知発達段階理論に基づくモラルジレンマ授業の様子をテレビ(フジ「とくダネ!」)でやっていた。小学校3年生の道徳の授業で「門番のマルコ」を題材に、対立する2つの道徳的価値観を互いのディスカッションを通じて、認知不均衡状態から脱却して、自分だけでなく相手の価値観を理解することで、尊重するようになる。テレビでの授業の様子は、まさにコールバーグの0段階の自己希求志向から4段階の社会システムの道徳性の直前まで、子どもたちが認知発達したことを示していた(全部で6段階ある)。ステージで言えば前慣習的水準から慣習的水準へと道徳的価値観が向上したことになる。僕の勤める会社でもヒューマンスキル向上のための教育として、このようなケースメソッドを取り入れた手法を多く取り入れている。問題解決やコミュニケーション、リーダーシップ能力の開発に使っている。

道徳の教育は大変難しいが、小学生の子どもだからこそ、物語の世界へ没頭し、ジレンマをあたかも自分のものとして考えることが出来るのだろう。これを実験で終わらせるだけでなく、全国で広まって欲しいとも思った。

K.ローレンツは、人間が本質的に持つ攻撃性は道徳という栓では、完全に塞ぐことは出来ないと言ってはいるが、それをわかった上で、効果的な教育を行うことで、少なくとも壊れにくい栓を作ることは可能である。モラルジレンマ授業が、いじめ問題の根本要因のひとつである相手を尊重するという道徳観を育むのではないだろうか。
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by namuko06 | 2006-11-08 10:23 | 教育/子育て
放任ではなく放置、主義ではなく怠惰
 わらび餅を作る教室に家族で参加した。パン作りやウィンナー作りと同じ教室だったので、若いカップルから、子ども会、親子連れで大いににぎわっていた。わらび餅は、わらび粉に砂糖や水などを入れて、鍋を火にかけ、ひたすら混ぜ、練る作業だ。粘度が上がると、混ぜるだけで一苦労、子どもたちと交代しながら、焦げないように必死で練った。
 さて、問題はわらび餅作りではなく、となりのウィンナー作りに来ていた家族だ。3歳ぐらいの男の子が教室中をひたすら走り回っている。どたどたと床の埃を舞い揚げながらだ。食べ物を作るこういった教室では、結構清潔にはうるさく、手洗いやテーブルの消毒などこまめに行っている。その中で、その子どもが、床に寝そべった手をテーブルにこすりつけるような行為は、私には汚くて見ていてぞっとするものだった。また、わらび餅作りでは卓上コンロを使っているので、練っている人にその子どもがぶつかったりすれば、間違いなく誰かがやけどをするだろうと、思うと冷や冷やしっぱなしだった。それは誰もがそうだったようで、その子どもがこちらに来ると、何度も注意していたのだった。あまりにも危ないので、「この子の親御さんはどちらですか?」と言ったところ、やっと父親が登場。しかし、効き目はなく、またも子どもは放置されたまま、親は自分のウィンナー作りにいそしんでおり、走り回っていた。
 この母親はというと、不思議な感覚の人間で、私達が作業していたテーブルで使っていた椅子を、ちょっと椅子から離れた隙に、自分のテーブルに持って行ってしまったのだ。自分のテーブルのそばに空いた椅子があるにもかかわらず。そこで、私は「この椅子使っているのです、持って行かないで」というと、「すみません」ではなく「わざわざ持ってきたのに」と非難するような口調で返してくる。けんかするのもばからしく無視をきめこんだが、この親にこの子あり、というのがなんとなく納得してしまった。
 放任主義という子どもをのびのびと育てましょう、という主義があるようだが、今回の走り回る子どもは、そのような主義で育てられているのではない。親が何かをしている間、子どもを野放しに「放置」するという、たんなる子育ての怠慢、怠惰な行為である。自分の行為が他人にどの程度の影響を与えられるかわからない人間は、自分の子どもの行為についても推し量ろうとはしない。今回の親子はまさにその典型だろう。
 子育てに対する責任という抽象的な言葉で、かつては私も書いたり喋ったりしていたが、本質的には、行為に対する怠惰か、そうでないかの違いでしかない。怠惰な人間は子どもを生んではならない。生まれた子どもが不憫である。自分の子どもを含めた自身の他人への影響を想像しない怠惰こそが、社会性の欠如を露呈させるのだ。そこに考え及ばない人間は、大人としての役割を果たせていないのだ。
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by namuko06 | 2006-07-25 15:48 | 教育/子育て
私は次女
 次女が2歳〜3歳頃の話である。当時私たち家族は4階建てアパートの1階に住んでいて、階段登り口の横に、各階の住居者用の物置がずらっとならんでいた。うちの場合、そこには、ベビーカーや子どもの自転車、子どもの屋外用おもちゃなどをしまっていたのだが、鍵など掛けずにいた。だから、長女は敷地内の公園やグランドで遊ぶときは勝手に、おもちゃや自転車を取り出して、遊んでいたのだ。ご近所さんも年代が同じの人々が多く、子どもも多かった。
 さて、ある日、長女は幼稚園にいってしまい、妻は次女と散歩に行こうとおもい、
 「おさんぽ、いこうね」
と言ったところ、次女は、自分の靴をだして、はいて、玄関ドアを開け、さっさとひとりで出て行ったそうだ。あわてて後を追いかけてみると、表の物置の扉を必死であけて、ベビーカーを取り出し、階段の登り口まで、持ってきて、そのベビーカーにのこのこと登り、どかっとシートに座り、じっとしていたそうだ。そう、散歩に行くのにベビーカーに乗っていこうという魂胆だったのだ。
 妻は、この次女の行動に最初は感動していたのだが、「散歩いこうね」というキーワードに反応するように、自分で勝手にベビーカーをもってきて、乗り込む姿を何度も見て、
(こいつ、歩きたくないのだな。)
とやっとわかったそうだ。そのおかげか、当時の次女は横綱級の体格を持ち、近所の同じ年齢の子どもたちよりもはるかに大きく、重かった。
 
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by namuko06 | 2006-05-26 18:41 | 教育/子育て
原因不明のトラブル
長女が4歳ぐらいのころだったと思う。私は最新型のインクジェット・プリンターを購入し、即座にセットアップを始めた。さっそくMacintoshから、子どもの写真などを印刷し、できばえに感心していたところ、長女がじーーっと、プリンタを見ている。
 「おもしろい?」
 「うん、ぎーこ、ぎーこっていってる」
ほー、音が面白いのか、と思っていると、
 「なかで、うごいている。」
と指をさす。その先には、シートフィーダーが。確かに印刷するときに、ジーッという音をたてて、紙を吸い込み、ぎーこ、といって紙を繰り出して、シャーと音を立てて印刷している。そのシートフィーダーが気に入ったのか、食い入るように長女は見つめていた。
 「ここにね、紙を入れて、マックから印刷するんだよ」
 「ふーん。入れると、ぎーこって動くの」
 「そう、そう」
こんな、会話をしたと思うのだが、この会話がとんでもないことになるとは、このときには気がつかなかった。私は、買ったばかりのプリンタの印刷の出来に満足して、舞い上がっていたのだ。

 翌日、再び印刷をしようとしたところ、プリンタはうんともすんともいわない。いや、ジジーとモーターの稼働音はするが、紙を吸い込み、印刷を開始しない。昨日買ってきたばかりのプリンタに不具合が...と頭の中が真っ白になった。
 しばらく、考え込み、様々な点をチェック。プリンタケーブルの交換、インクの取り外し、取り付けなど、セットアップを再度行うなど、出来うる限りのことをしたのだが、現象は変わらない。こうなると、初期不良を疑い、さっそく購入店へ持って行った。そして、現象を告げたところ、
 「初期不良のようですね。すぐに確認しますので、しばらくお待ちください」
と言われて、待っていたところ数分間。
 「お客様」
と呼ばれて、受付に向かうと、担当者のお兄さんが、ニコニコしている。
 「これが、中に入っていて詰まっていたようです。」
それは、消しゴムだった。しかも、新品の消しゴムのカバーがとってあり、真っ白の消しゴム。
 「ええ、なんでそんなものが入っていたんですか?」
と、受付のお兄さんが答えられないような質問をしてしまった。
 「それは、わかりませんけれど、なにかのはずみで入ってしまったのでしょうかね。でも、しっかり奥にはさまっていましたよ」
 結局、初期不良ではなく、修理したわけでもないので、料金も入らないということで、持ち帰ることになった。背中に店員の冷笑を感じながら。
 家に帰って、妻に話をすると、「私は入れていない」と一言で一蹴。そんなことはわかっているよと、つぎに、長女に
 「けしごむはいっていたよー」
というと、なんと
 「いれたよ〜」
とのたまうではないか。
(おまえか〜!)の怒号は飲み込んで、理由を聞きたかったが、原因不明のプリンタトラブルをたったひとつの消しゴムが起こし、それを見つけられなかったというショックに加えて、それを娘が行っていたという事実に、絶句してしまった。撃沈されてしまった。
 いまだに、なぜ消しゴムを、それも紙のケースを外して入れたのか、わからない。もしかすると、消しゴムに何かを印刷して欲しかったのか、たんに、シートフィーダーの動きを止めたかったのか、それとも父親をいじめたかったのか。
 子どもが、じーっと見つめているときは、その後に、何かが起こるのだ。それは原因不明のトラブルから始まる。
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by namuko06 | 2006-05-20 23:07 | 教育/子育て
おしごとしておいたよ
長女が3歳ぐらいの時の話である。当時私はMacintosh LC475というピザボックス型のコンピュータを家で使っていた。私は仕事で使うデータを3.5インチのフロッピーディスクに入れて、家と会社で使っていた。そのMacは、長女も絵をかいたり、CD-ROMの絵本で遊んだりすることもあり、彼女にとってもとても身近な存在だった。
 私が、フロッピーディスクを抜き差ししていると、
 「それなあに」
と聞くので
 「パパのおしごとでつかうものだよ」
 「ふーん、おしごと」
と納得したようだった。色の違うフロッピーディスクを使っていると、またも
 「それなあに」
 「おしごとなんだよ」
と繰り返す。
 私が床に座って、Macに向かい仕事をしていると、そのあぐらの中に、長女はちょこんと座って、じっと画面を見つめていたり、動かすマウスを見ていたり、じゃまをすることなく、大人しく私の仕事が終わるのをまっていた。私の仕事が終われば、自分が絵を描いたりしてMacで遊べるのを知っているのだ。
 なかなか仕事が終わらないと、遊べずにべそをかくこともあったし、Macで遊んでいる途中で、私にMacを取られるということも多々あった。このころから「まっく」というのはコンピュータを示す言葉だと言うことを覚えた。

 ある日、会社から帰ってみると、長女はにこにこして、
 「おしごとしておいたよ」
 と言う。何事かわからず、
 「そう、ありがとうね。パパ助かっちゃったよ〜」
 などと、愛想を振りまく。何か、遊んでいるのだろうと思ったのだ。妻に
 「なにしてたの?」
 と聞いても、よくわからないらしい。Macを使っていたようだが、いつもと同じように遊んでいたようで、別段かわったところはない。
 いつものように、仕事をしようとMacの前に座ると、長女はそそくさと、私のあぐらの中に座り込む。私はMacの電源を入れようとスイッチに手を伸ばそうとしたところ、目にフロッピーディスク投入口が映り、頭の中に警報ランプが点滅した。普段ならカラッポのフロッピーディスクドライブの中に、白い板のようなモノが入っているではないか。おそるおそる、それを引き出すと、なんとそれは、『スライスチーズ』だった。
 びっくりして、引き出したスライスチーズを眺めていると。
 「おしごとしておいたよ」
 と長女の上機嫌の声が聞こえる。
 (おまえかー!)という怒号が頭の中をよぎるが、
 「これはね、チーズだよ。食べるものでしょ。ここには食べるものいれても、おしごとできないんだよ。わかった?」
 長女は少し考え
 「うん、わかった」

 どうやら、長女は、Macにフロッピーディスクを入れることが仕事だと思っていたらしい。それで、先にいれておけば、私の仕事は終わって、自分がMacで遊べると考えたようだ。
 それにしても、電源入れなくて良かった。入れていたらフロッピードライブの中は、チーズが粉々に飛び散って、大変なことになっていただろう。しかし、長女がよくスライスチーズとフロッピーディスクが同じ大きさだと気がついたなと、感心したのだった。親ばかである。

 
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by namuko06 | 2006-05-18 15:49 | 教育/子育て
まちがえちゃった!
次女が2、3歳のころだったと思う。彼女が、はじめてふつうのベッド(子供用の2段ベッド)で寝たときのことだ。
 すでに長女も眠りに就き、次女も下段の自分のベッドで、眠っていた。私たち夫婦は子どもたちのベッドの横に布団を敷いて眠りにはいろうとしていたとき、スモールライトの薄暗い中で掛け布団を引きずる音がした後「ドテッ」と音がした。瞬間的に、私たち夫婦は、次女がベッドから落ちたことを悟って、ハッとした。そのとき
 「まちがえちゃった!」
と、次女の声。そしてベッドに、モコモコとはい上がる次女の姿。そして自分で掛け布団を首まで引きずりあげ、再びすやすやと寝息をたて始める。
 私たち夫婦は顔を見合わせて、笑いをこらえて、隣の部屋に起きだし、寝室のふすまを閉めたとたん、再び顔を見合わせて、大笑い。
 「なに、間違えたんだろうね? 夢でもみてたのかな?」
 「きっと、布団で寝ていると思ったんじゃない?」
 「ベッドが、永遠に続いているとでも思ったのかな?」
 「でも、落ちちゃった、じゃなくて、なんで、まちがえちゃった、なんだろうね。」
 「ふっしぎー???」

 翌朝、次女に
 「なに、まちがえちゃったの?」
と聞いたところ、
 「おふとんでねてるとおもったの」
とちゃんと答えるではないか。これに二度びっくり。
 「落ちたの覚えてるの?」
 「うん、いたかったもん」

この「まちがえちゃった」はこれっきりで、そのあとベッドからおちても、ひとりでモコモコと登って、落ちた掛け布団や毛布を引きずり揚げて、勝手に眠るという、わざを身につけた。しかし「ドテッ」という音に、ハッとさせられるのは、毎回の事だったが。
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by namuko06 | 2006-05-17 15:42 | 教育/子育て
水かけちゃえ!
 長女が幼稚園(保育園)に入った頃の話である。
 その幼稚園は、子どもを思いっきり遊ばせてくれるところで、毎日子どもが泥だらけになるというので有名である。子ども同士の遊びの中で、いろいろな葛藤や楽しみを通して、ルールを守ることや、新しい遊びを思いついたり、動物や草花を育て、食べることの重要さを自然と身につけていくということができそうな、幼稚園である。
 そこに長女が年中から入った。3歳ぐらいから入っている子どもはすでに幼稚園の主のようにしていて、果たしてそこにとけ込めるかと心配していた。数ヶ月後天気が良い日に、父兄参観日があり、少し早めにいってみたところ、目の前をパンツ一丁の子どもたちが奇声をあげながら、泥だらけになって走り回っている。よく見ると、全身びしょぬれの子どももいるではないか。思わず、自分の娘を探してみたが、いない。立ち止まっていると、木陰から、
 「だれ? だれのパパ?」
とかわいらしい声が聞こえた。そちらをふりむくと、髪の毛に泥がこびりついた、パンツ一丁の女の子。手には水が垂れ流れているホースをにぎって、顔中にっこり笑いながら、
 「だれのパパ?」
ともう一度聞いてくる。
 「ああ、ゆうのパパだよ」
と答えると、にこにこ顔が、さらにおおきく微笑むと、
 「ゆうのパパなの? やったぁ、水かけちゃえ〜!」
の言葉が終わる前に、持っていたホースからしぶきが私めがけて放水される。気がつくと、子どもたちが私のそばに群がっていて、おおはしゃぎ。
 「こらー、やめろー」
といっても、まったく止める気配はないが、なんとなく楽しい気分になってきた。
 突然、水が止まった。先生が来たからだ。みんなは「にげろ〜!」と蟻の子を散らすように、消えてしまった。
 「すみません、大丈夫ですか?」
と先生は聞いてくれたが、時すでに遅し、頭、背中はびしょぬれだった。
 「ええ、なんとか。でも楽しいですね。こんなに歓迎してもらって。」
と答えると、
 「ほんと、すみません。子どもたちは、お父さん方が来られるので、はしゃいでるんです。」
 見ず知らずの子どもに水を掛けられて、腹が立たないのはなぜだろう、こんな楽しい気持ちはどうしてだろう、と濡れた頭をハンカチで拭きながら考えたのだが、水を掛けてきた女の子は、私が誰かをまず、聞いた。そして娘の名前をだしたら、水を掛けてきた。ということは、彼女にとって娘のパパは水を掛けても良い対象である。すなわち、彼女は娘とは仲がよいか、あるいはとっても悪いか。しかし、彼女は水を掛けている間もとてもにこやかだった。
 などと、考えていたが、参観時間になって、教室に行ってみると、その女の子と娘は仲良く並んで座っていた。それで、仲の良い友達ができたんだ、とホッとしたのだった。
 その女の子もすでに中学生。水を掛けられて以来、家族ぐるみで長いこと一緒に遊んでいたのだが、住居が離れ、少し遠くなってしまった。先日久しぶりに会ったときにはすっかり大人びて、見違えてしまった。しかし、私を見る瞳は昔のまま。にっこり笑うその笑顔の中に、「水かけちゃえ〜!」の笑い声が今も聞こえてくるようだ。
 
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by namuko06 | 2006-05-16 11:57 | 教育/子育て
うそをつく子ども
 私の子どものクラスでは、しょっちゅう嘘をついている子がいるらしい。どの程度の度合いの嘘なのか、はっきりしないが、「宿題を忘れて嘘を言う」という言い方からして、言い訳けも多く、それが実態のないことを言っているようだ。起きてもいないことを、さも起きたように言うという、嘘もあるらしいが、詳しいところはわからない。
 ただ、「嘘をつく」というのは子供の時期には必要な行為ではないのか。それがはた迷惑な「火事だ!」とかそういったことが頻繁に起きれば、大変な問題だが、学校内でのことならば、ある程度容認され、クラスや友達の中で「あいつはすぐ嘘をつく」と思われる程度ですむのではないだろうか。「うそつき」というレッテルが逆にいじめの対象になったりすることもあるかもしれないが。
 「嘘をつく」というのは、いわゆる防衛策だろう。心にゆとりがあって、大概のことに自分なりに解決できる糸口を見つけられる子は、「嘘をつく」必然性はないが、「嘘をつく」子はそれだけせっぱ詰まった心理状況にあるとも考えられ、それを解消するために「嘘をつく」のではないだろうか。
 たとえば「宿題を忘れた→単に忘れたと白状すると先生に叱られる→連絡ノートに宿題忘れ指摘される→宿題忘れが親にばれる→親からこっぴどく叱られる→それは嫌だ→だから、昨夜は病院に行っていたことにしよう」 などといった嘘をつくための論理を組み立ててしまうのではないだろうか。
 このしばしば嘘をつく子は、何度となく先生やクラスの仲間と嘘をつかないと約束をしたのだが、それを守ることが出来なくて、反省文を書かされてしまったそうだ。そして、その反省文を泣きながら読み上げたという。
 嘘をつきたくてついて、約束も平気で破る子なのに、どうして反省文を読むときに泣いたのか。その涙は、悔し涙なのか、それともどうしても嘘をついてしまう自分が情けなくなったのか、私にはわからないが、反省文をみんなの前で読ませるという方法が、先生がその子がどうして嘘をついてしまうのか、原因を理解した上での指導であるとは、とうてい思えない。
 もし、嘘をついてしまう原因がわかっていれば、それを取り除くように精神状態を安定的に持って行く方が先決だからだ。追いつめることで、嘘はつかなくなるだろうが、鬱積した心理はどこかでその子の精神をゆがめてしまわないか、とても気になる。
 私の子どもも、ときに嘘をつくことがある。そのときはあまり追い込まないようにしている。たとえば寝る前の歯磨きを忘れたとき、
 私 「歯磨いたか?」
 子 「みがいた〜」
 私 「もう一回磨こう、歯が腐っちゃうぞ〜」
というと、子どもはあわてて磨きにくる。
成長してくると、「嘘つくんじゃない、俺にはお前がやっていることはすべてお見通しだ!」といったはったりで、追い込んだりするが、今はまったくといって嘘をつかなくなった。
 まぁ、これからさらに成長するにつれて嘘をつく機会は増えていくだろうが、それはしかたがないことだ。
 とにかく、嘘をつかないという反省文を読まされた子の心がとても心配だ。
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by namuko06 | 2005-12-02 17:27 | 教育/子育て