ふと思いついたこと
by namuko06
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カテゴリ:読書( 50 )
ああ息子
 西原 理恵子 さんの「ああ息子」読了。全国から投稿された、息子の生態に関する母親の観察記録である。などと堅苦しく書いてみたが、内容は、草を食べる、おしっこはそのへんにしちゃう、雨が降っても傘をささないなど、母親には理解できない息子達の行動を見つめる、あきらめと、挫折、そして愛を語ったものだ。腹をかかえて笑ったり、ほろりとさせられたり。あっというまに読了。
 うちの子も面白かった。うちの子の友達も面白かったなぁ。これから少しずつ書いてみよう。
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by namuko06 | 2006-05-15 21:31 | 読書
70年戦争という視点
かつて書いた「盧武鉉大統領の言う「侵略戦争」とは何をさすのか?」「『日露戦争は朝鮮半島への侵略戦争』なのか?」では、私の持つ歴史観に韓国の盧武鉉大統領の発言を当てはめて考えてみていた。実は、これは大きな間違いで、韓国人の主張には韓国人の持つ歴史的視点で考えてみなければならないと気づき、呉善花(オ・ソンファ)拓殖大学教授の「『反日・親北』韓国の暴走」を読んでみたところ以下のような韓国人の歴史観(民族史観)について得ることが出来た。
 日本人は韓国人の言う「七十年戦争」をご存じだろうか。ほとんどの日本人は首を傾げるに違いない。また、欧米の歴史学者に聞いても、「その七十年戦争とはいつのことですか」と聞き返されるに違いない。しかし、韓国の歴史学者達は、通常韓国は一八七五年(明治八)以来日本と「七十年戦争」を戦ったと主張する。その七十年とは、日本による韓国江華島砲撃(一八七五年)にはじまり、日朝修好条約、日清戦争、日露戦争、日韓議定書、第一〜三日韓協約と続いて日韓併合条約が締結され、以後三十四年二ヶ月にわたる植民地支配が一九四五年八月に終わるまでの七十年間である。その全期間を、日本がしかけた侵略戦争に対する韓国の反侵略戦争の歴史と位置づけるのである。北朝鮮までもこれとまったく同じ考えをしている。
 ここでは「戦争」という言葉の国際法上の定義など全く考慮されていない。日韓の研究者達による「日韓合同歴史教科書研究会」などでは、しきりにこの「七十年戦争史観」が日本人研究者に対してぶつけられる。世界中でこんな歴史理解を韓国や北朝鮮の反日知識人以外のいったい誰がしているだろうか。(中略)
 レーニンにによれば、相手国を侵略して自国の主権下におくことが帝国主義戦争である。ロシア・マルクス主義者たちは、相手国の領土で戦争をしたわけではなくとも植民地化を侵略と呼び、帝国主義戦争と見なし、倫理的な悪の意味を持たせて断罪した。韓国の反日民族主義は、これをそっくりそのまま懐に入れて反日の便利な道具として用いてきた。

 私は「戦争」とは国際法上に定義された行為を念頭に置いていたが、盧武鉉大統領の「侵略戦争」による日本に対する発言はマルクス主義に裏付けられた主張だったのだ。だとすれば、盧大統領の主張はよく理解できる。しかも、日本の主張は自由民主主義社会として、慣習的国際法上の用語によるものであるため、利害が衝突していれば、お互いの歩み寄りは期待できないのも、さらによくわかった。
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by namuko06 | 2006-05-08 20:56 | 読書
腹痛!
ここ数日、下腹部の腹痛に見舞われている。悪いものを食べたのか、体が冷えて風邪でも引いたのか、かなりつらい。
 さて、そんな中、 津本 陽 著「覇王の夢」を読了。この本は以前読もうと挑戦したのだが、なんとなく読みにくく、放ってあったものだ。今回読み直してみて読みづらい理由がわかった。物語の時系列が直線的でなく、数ヶ月前にさかのぼったり、急に未来に飛んだり、同じようなコンテンツが2度に渡って書かれていたりしているからだ。私にとって、このような文体は苦痛以外の何者でもない。したがって、せっかくの信長の夢も、絵に描いたようなものにおわっているような感じで、実感としてわかなかった。新聞の連載物だったようだが、一冊の本にすべきものではなかったと思う。
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by namuko06 | 2006-04-04 17:04 | 読書
「美しさ」を伝える方法は?
 藤原正彦著『国家の品格』読了。さすがベストセラーだけあって、読みやすい本だった。内容も理解しやすく、納得のいくもの。本の帯に書かれた過激なコピーに買うのを躊躇していたが、読んで良かったと思う一冊だった。
 100%、著者の言うとおりだとは思わないし、表現の仕方にも過激だったり、物足りなかったりするところもあるが、共感を得る部分は多い。特に「論理の出発点は仮定」「長い論理には注意しろ」といった、なにかを実行する上での理屈をこねる際に、私も気をつけている点であり、他人の意見などもこの2点についてよく注意して見ているからだ。本のタイトルになっている品格については、共感半々といったところ。論理よりも情緒を育てることはよくわかるのだが、著者が言っておられるように、情緒は蓄積しない、それをどうやって移転し蓄積し、育てていくかというところが、私自身に回答がない。もう少し考えていかなければならないテーマだと実感した。
 「美的感覚」の重要さは、数学ばかりではなく、工学の分野すべてにおいて重要である。昔、コンピュータ・プログラムを書いているときに、先輩に、「美しいコードを書きなさい、そして証明できること」とよく言われた。「証明できる」とはいわゆる関数型プログラミングを心得よ、という意味なのだが、「美しいコード」というのには泣かされた。先輩の美的感覚がどうしても自分の美的感覚が合わないときもあり、しきりに記述し直しという目にあったからだ。しかし、そうやっているうちに、コードの美しさとはどうあるべきか、というルール化をとうして、自分の美的感覚は磨かれていき、さらに美しいコードを追求できるようになった。この感覚は、数十年が経った今でも生きているようで、若い人が書いたプログラムをみて、「きたない」「きれい」という感想の方が、プログラムの論理構造よりも先に感じる。大方きたないプログラムは、構造もあやしく、バグも多い。おそらく、「美しさ」の中に、精密さ、正確さ、幾何学的な要素のような感覚も含まれているのだろう。ただし、このような情緒的な感覚を、後進に伝えるのはきわめて難しい。私が教わったように、徹底的に叩かれて身をもって覚えるしかないのかもしれない。
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by namuko06 | 2006-03-28 15:21 | 読書
やさしさに触れてやさしさを身につける
聖路加国際病院で小児癌を専門にしている細谷亮太氏の「いつもいいことさがし」を読了した。友人から借用して読んだのだが、なかなか心洗われたエッセイだった。暮らしの手帖という雑誌に連載されていたものをひとつの書籍にまとめたものだが、本ブログのタイトル「やさしさに触れてやさしさを身につける」の章のいくつかの一節は、私の心を打った。
 『子どもたちが無表情になってきている、と心配している小児科医がいます。名古屋駅で泣きわめいていた男とのを思い出した。ずーっと泣いても母親が振り向いてくれなければ、そのうちにあきらめて泣かなくなってしまうでしょう。そして表情が消えるのです。』
 『やさしくしてもらって、やさしくしてあげることを学ぶのは、そんなに難しくはないかもしれませんが、やさしさに触れずにやさしさを身につけるのは、なかなかできないことだと思うのです。』
 『...カザフスタンに行ったことがあります。...自然がいっぱいあって、子どもたちもじつに表情ゆたかでした。ひとびとも、とてもやさしかったのです。やさしさを取り戻すには、自然を心の中でじゅうぶんに感じないといけないのかもしれません』
 他人に対するやさしさは、感謝の念からうまれる。生かされている喜びからうまれる。やさしさはやさしくされないとうまれない。なるほどだと思う。

 さて、小学生の自殺については、ショックをうけたが、すべての状況はなかなか明らかにならないまま、遺族の記者会見が開かれた。

学校の対応を批判 小5自殺で遺族が会見

 会見を開いた親族の方は、テレビで見る限り、悲しさ、悔しさ、怒りといったものが溢れていた。また校長もテレビのインタビューに答えていたが、無表情で「対応に落ち度はない」と言っていた。内容はどうであれ、校長の表情から、気持ちを読み取ることが出来なかったことが残念だ。本来自校の児童が自殺という形で死を選択したのだから、なんらかのわき起こる感情が表面にでてくるのが自然だろうと思う。悲しみ、「なぜ」という疑問、または自分たちの責任はないのかという不安や絶望。こういった感情がみえず、なにやら頑なな態度だけが感じられ、「ああ、この人はやさしくないな。」と感じた。この校長は人にやさしくしてもらったことが無い人ではないだろうか。学校の責任問題にしてもらっては困るという気持ちは十分わかるが、こんな時だからこそ、責任あるなしの議論はさておいても、人間らしく振る舞うことは、組織の長である立場なら当然だと思う。


 
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by namuko06 | 2006-03-20 10:06 | 読書
テロリズムの内側
吉村昭著「桜田門外ノ変〈上〉」「桜田門外ノ変〈下〉」読了。本書は、安政7年(1860年)3月3日、桜田門外で大老井伊直弼を暗殺する水戸脱藩士で、この暗殺隊を指揮した関鉄之介の視点で書かれたドキュメンタリー(風小説)である。
 幕末の水戸学派の思想がどのように形成されたのか、今ひとつ納得していなかったのだが、本書を読んで有る程度理解できた。
 1806,7年にロシア艦が樺太、千島、蝦夷北部に来襲してきてはいたが、水戸藩の人間にとっては遠い国での出来事に過ぎなかった。しかし、文政7年(1824年)、大津浜にイギリス艦が来て、12名の異国人が上陸した事件が起きた。これは米国ペリーが浦賀に来航する29年前である。このときの水戸藩、幕府の衝撃は甚だしいものだったにちがいない。とくに直接交渉にあたった水戸藩の動揺は、毎日のように艦砲射撃を行うイギリス艦に脅かされており、生きた心地はしなかっただろう。個人的にはこの艦砲射撃は空砲で時刻を知らせるものだと思うのだが、当時の水戸藩にはそんなことは通用せず、威嚇行為に思えたに違いない。
 このような事件背景があり、もしも外国が日本に攻めてくるならば、長い直線的な海岸線を持つ、水戸藩こそ、先陣となるであろうという危機意識が醸成され、外国を排斥するためには、まずは士民の意思統一と武力増強が必要と考えていった。意思統一のためには、信仰を統一しようと言うことで、象徴となる天皇を崇拝し、神道によって人心を一つにしようと計った。このため、水戸藩内では神道対仏教といった一種の宗教戦争めいた事件が多発する。さらに武力増強は藩主から幕府への働きかけを行うのだが、なかなか認めて貰えず、水戸藩の危機感と幕府のそれの間のギャップが、水戸藩への反逆意志ととらえられてしまう。このような中で、藤田東湖のような尊皇攘夷論が水戸藩内に台頭し、幕府との歩調はますます狂ってくる。
 そして、井伊直弼が大老に就任し、朝廷の勅許も得ず「日米修好通商条約」を締結してしまう。これに反対する水戸藩主・徳川斉昭らは、永蟄居などの処分がならされ、安政の大獄がはじまり、井伊直弼の独断政治の始まりとなる。この安政の大獄は、水戸藩士をねらい打ちにしたような事件であり、藩士だけでなく、家族、親類など多くの者が投獄され獄中で死んでいったり、追放されたりした。このため水戸藩では、内政が出来ず、朝農民などのコントロールも覚束なく、経済も停滞し、ひどい状態に陥っていった。
 大獄は次々に行われ、水戸藩が取りつぶしにあうのではないか、という極限まで追い込まれた結果、一部の急進派により井伊大老の暗殺が計画され実行されたのだ。
 本来ならば、ケンカ両成敗により水戸藩も、井伊直弼の彦根藩もお取りつぶしになるところだが、赤穂浪士討ち入りのような両藩の内戦状態を避けるために、大老の死を伏せたまま子の井伊直憲へ継がせたのだった。水戸家への処罰も当主の徳川慶篤のみ軽くされるだけで、ありか割らず水戸家への弾圧は続いた。
 このため、桜田門外の変の2年後老中・安藤信正も水戸脱藩士に襲撃されるなど、幕府中枢への恨みは甚だしいものがあった。このあと、桜田門外ノ変を指揮した、関は、日本全国を逃亡旅行したが、最後には水戸藩士に掴まり、幕府に送られ、斬首されてしまう。
 桜田門外ノ変は、赤穂浪士討ち入り、二・二六事件と同様、日本の歴史的テロリズムの一つとして数えられている。本書はこのテロ実行犯側の視点でかかれており、井伊直弼を暗殺する必要性が膨大な資料をもとにきっちりと、書かれている。赤穂浪士の討ち入りは、あくまでも仇討ちと幕府の処置方法への不服申し立てであった。しかし、桜田門外ノ変は、水戸藩の実情を打開するため(弾圧から逃れるため)だけでなく、外敵から国をどのように守り、どのような方向に持って行くのかというイデオロギーの決定的な違いによるテロだったのだ。さらにいうと、この桜田門外ノ変は、単なるテロではなく、水戸藩の急進派達は、鳥取藩や薩摩藩などの同士によびかけて、井伊直弼を殺害するのと同時に、京都に兵をおくり、天皇を擁して、朝廷中心の政治体系を一気に作り上げようというクーデターだった。
 このクーデターは失敗し、テロだけが成功するという結果だったが、幕府中枢を瓦解させるには十分であり、その後、薩摩・島津久光、一橋慶喜、松平春嶽、会津・松平容保などが台頭してくることになる。そして、水戸を起点とした尊皇攘夷思想は、倒幕思想と公武合体思想へ分離し、極化していき、全国に内乱状態を引き起こしていく。
 本書を読む前は、桜田門外ノ変は、単なる水戸藩を脱藩した暴走浪人が手当たり次第起こした事件の一つだとばかり思っていたが、そうではなく、たった一回の、しかも憂国の志士によるものであることが理解できた。幕府は権威を維持するために権力を使って押し込んでくるため、支配下に置かれている者はどうしても打開するために武力を用いてしまう。他の土地や外国に逃げることさえも出来なかった中で、解決策を考えていくと弾圧している者を除いてしまうという方向に行ってしまうのはしようがないことだ、と思う。
 私個人としてはテロリズムには反対であるが、テロへ至るプロセスや思いなどは、本書を読んで十分に理解することが出来た。貴重な本である。
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by namuko06 | 2006-03-02 13:08 | 読書
エクスペリエンツ
堺屋太一著「エキスペリエンツ7 団塊の7人」読了。団塊世代のエキスペリエンツ(知識・経験者)による落ちぶれた商店街の復活物語だ。読み始めて、黒澤明の「七人の侍」を思い出した。また、登場人物達の名前は、幕末期の志士や大名などの名前をもじったものだらけで、それだけで物語の背景が、大きな社会構造が変革する時期にあるのではないかと、想像しながら、読みふけった。
 たしかに、エキスペリエンツの廃れてきた商店街への登場は、現代が、会社や仕事を通しての人間関係から、同じ夢を実現しようとする同士関係へと、変化していることを示していると感じた。そして、その関係を構築するために、個々の知識や経験が生かせる、それはこれまで様々な経験を経てきた団塊世代の人間にしかできない。団塊世代は、その人口構成比率の高さだけでなく、逆境を成功へ、未知の分野を開拓し、市場や社会の多様性を具現化してきた世代だ。
 この小説を読むと、団塊世代の生き方がよくわかる。「団塊世代」の名付け親である、堺屋太一氏にとってこの「エキスペリエンツ」は、仕上げの一冊だろう。本書の最後は、死を間近に控えた「団塊世代」が自身の知識、経験を発揮して夢を実現した後、ある種の覚悟を決めなければならないことを暗示している。それが何なのかは、それぞれに異なるだろうが、私も読了後、将来への自覚というほど大げさではないが、肝が据わったような感覚に捕らわれた。
 団塊世代はもとより、団塊世代を上司に持つ若手も必読の書であろう。
 さらに本書を、映像化されたら是非みたい。主人公の坂本龍生を石坂浩二、その他、西田敏行、松坂慶子、小林稔侍などで実現できないだろうか。
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by namuko06 | 2006-02-25 21:52 | 読書
文藝春秋3月号「愚かなり、市場原理信奉者」
藤原正彦氏が書いた「愚かなり、市場原理信奉者」は、その扇情的なタイトル同様、内容も過激だった。端的に言うと、市場原理信奉者は拝金主義的日和見的であり、日本人の美意識としている惻隠の情を失わせ、経済を衰退させていくという主張だ。
 なるほどと思う部分もあるが、どうも市場原理信奉者というキーワードに違和感を感じる。特に次の一節である。
 「株主とは通常、株主を安く買い高く売ることでキャピタルゲインをねらう人々である。会社との関係は買ってから売るまでの期間に限定される。...(中略)...会社への愛情は皆無といってよい。しかるに従業員は、多くの場合、会社を愛している。...(後略)」
 藤原氏は、この株主の定義を使って、企業経営の株主中心主義、株式市場をとらえている。日本の株式市場にこのようなキャピタルゲインをねらう人々がどの程度の割合いるのか、データがないのでわからないが、もしも大半がそういう人々であるとするなら、なぜ日本の会社は、株式市場に公開上場するのであろうか。多くの企業は、商品市場において競争しており、利益を追求している。利益を得るためには事業を行わねばならず、そのためには資本が必要である。その資本をどこから調達するかと言えば、銀行や株式市場ではないのか。したがって、企業が資本を必要とする限りにおいて、株式市場はなくならないし、その株式市場は、株式を購入した人々(株主)への配当という形で、利益が還元される。その副次的な結果として、企業評価が株価へ反映されるという仕組みなのだ。誰もが知っていることである。
 したがって、株主は、配当を受け取ることにより企業の利益追求を望み、企業が発展していく限り、「会社を愛し」ているだろう。これは決して従業員の会社への愛(従属する愛)とは、異なる。
 さらに、氏はこういう。
 「市場原理とは自由競争であり、規制緩和が不可欠である。規制とは自由の暴走を抑え、正義と弱者を守るためのものである。」
 これはあきらかに理想論であろう。規制をすることによって、官僚主義がはびこり、硬直化していたではないか。国鉄、NTTなどそのような事例は山のようにある。氏は株式市場と商品市場をはき違えて、論説しているように思えてならない。用語の定義をきちんと整理して、再度詳しく述べて欲しい。
 武士道については、私も同感する部分は多い。しかし、一種の社会主義的階層社会であった時代に育まれた日本人的(といっても一部の階級のみ)精神にすぎない武士道が、すべての日本人に適応できるとは思えない。武士を尊敬していた町民や農民に果たして武士道は浸透していたのか、という視点も本文には欠けている。
 ただし、惻隠の情は、現代としても人間として必要なものなのかもしれない、これについては市場原理等々とは別の議論ではないのだろうか。
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by namuko06 | 2006-02-15 18:43 | 読書
離婚弁護士
フジテレビ放映のドラマのノベライズ版「離婚弁護士」読了。ドラマ同様の軽い感覚で、人間の機知を感じられる小説だった。自分の人生を他人に決められるのは嫌だという主人公の強い生き方に爽快さを感じることができ、日頃のストレスも吹き飛ぶような展開だ。是非「離婚弁護士2」の方もノベライズ版を出してもらいたい。またドラマの方も続編を期待している。
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by namuko06 | 2006-02-05 18:10 | 読書
読書三昧
最近読了した本。
(1) 大石英司著 「神はサイコロを振らない」
(2) 横山秀夫著 「クライマーズ・ハイ」
どちらも飛行機墜落が物語のキーとなっている。「神は...」はドラマが始まり話題になっているが、実際に起きた御巣鷹山に墜落した日航機事故のオマージュであるのは間違いない。
 その日航機事故をモチーフに使った「クライマーズ・ハイ」は、思わず感極まって涙してしまった。横山秀夫の作品の中で、一番気に入ったものだ。これもNHKでドラマ化されており、DVDに録画していて、見ずにいたので、早速見てみたい。
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by namuko06 | 2006-01-28 21:30 | 読書