ふと思いついたこと
by namuko06
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エクスペリエンツ
堺屋太一著「エキスペリエンツ7 団塊の7人」読了。団塊世代のエキスペリエンツ(知識・経験者)による落ちぶれた商店街の復活物語だ。読み始めて、黒澤明の「七人の侍」を思い出した。また、登場人物達の名前は、幕末期の志士や大名などの名前をもじったものだらけで、それだけで物語の背景が、大きな社会構造が変革する時期にあるのではないかと、想像しながら、読みふけった。
 たしかに、エキスペリエンツの廃れてきた商店街への登場は、現代が、会社や仕事を通しての人間関係から、同じ夢を実現しようとする同士関係へと、変化していることを示していると感じた。そして、その関係を構築するために、個々の知識や経験が生かせる、それはこれまで様々な経験を経てきた団塊世代の人間にしかできない。団塊世代は、その人口構成比率の高さだけでなく、逆境を成功へ、未知の分野を開拓し、市場や社会の多様性を具現化してきた世代だ。
 この小説を読むと、団塊世代の生き方がよくわかる。「団塊世代」の名付け親である、堺屋太一氏にとってこの「エキスペリエンツ」は、仕上げの一冊だろう。本書の最後は、死を間近に控えた「団塊世代」が自身の知識、経験を発揮して夢を実現した後、ある種の覚悟を決めなければならないことを暗示している。それが何なのかは、それぞれに異なるだろうが、私も読了後、将来への自覚というほど大げさではないが、肝が据わったような感覚に捕らわれた。
 団塊世代はもとより、団塊世代を上司に持つ若手も必読の書であろう。
 さらに本書を、映像化されたら是非みたい。主人公の坂本龍生を石坂浩二、その他、西田敏行、松坂慶子、小林稔侍などで実現できないだろうか。
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by namuko06 | 2006-02-25 21:52 | 読書
人権指導と実態の乖離
Excite News:茶髪の女生徒に黒スプレー 京都の高校教員
 京都市立日吉ヶ丘高校といえば、美術系をはじめたくさんの優れた人々を排出した名門高校である。本校の校是・教育目標は以下の通りだ。
(1) 自律
 規律ある学校生活の中で、自主性と責任感を育て、生命の尊さを自覚して主体的に生きぬく力を培う。
(2) 協同
 青春の今を積極的に生き、友愛と誠実さを育て、全ての人の生きる権利を尊重する豊かな心を育てる。
(3) 創造
 探究の意欲を持ち、絶えず努力して学力を高め、強い意思と体を鍛え、未来を切り拓く豊かな創造性を磨く。

 最初の「規律ある学校生活」という点に、茶髪は抵触したようだ。この教育目標を見る限り、規律を守ることに、自主性と責任感を見出す指導を行うことが、最優先であろう。
 この高校の、教員公募募集要領を見てみると、その中の「指導の重点」には、以下のように書いてある。
  ○ 学力の充実と伸張を図り進路保障に努める。
  ○ 生徒理解の上に立った生徒指導の充実を図る。
  ○ 美化・清掃に努める指導を推進する。
  ○ 生命の尊さを自覚させ、体力と安全能力の向上を図る。
  ○ 人権についての自覚を深めさせ、人権教育を推進する。
  ○ 21世紀の国際社会に生きるために豊かな国際感覚を育成する。

 このような教師像を本校は求めているわけだから、黒スプレーで茶髪を染めた教師も、この指導重点に沿って、このような行為を行ったに違いない。スプレーをする際に、この生徒と教師の間でどのようなやりとりがあったか不明だが、少なくとも弁護士が介在している以上、問題があったのだろう。
 私としては、この行為を見た、もしくは知った他の生徒への影響を心配する。とくに、教師が「生徒理解の上に立った生徒指導」をしているのかどうか、生徒の人権について教師はどのように考えているのか、疑問を持っているに違いない。正当な理由で教師が茶髪の生徒の髪を染めたのならば、きちんと生徒達に説明すべきだ。
 高校生は未成年とはいっても、それぞれの人格を持った人間であり、教育を受けている生徒である。本校が名門高校であるならば、なおさらそのブランドを傷つけないよう、指導者はアカウンタビリティを発揮すべきである。それがなされないのならば、ここにあげたような校是・教育目標はたんなる画餅となるであろう。
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by namuko06 | 2006-02-24 20:56 | ニュース
自ら学ぶ力 とは?
Excite エキサイト : 社会ニュース: 全国学力テスト不参加 全国初、犬山市が方針
 なぜ不参加なのだろうと思い、犬山市教育委員会のホームページを検索してみた。これまでの当市の小中学校の活動状況や、方針など細かく見ることが出来た。その中で、教育長の「教育について思うこと」の中に『自ら学ぶ力』が定義されている。教育長の主張では、「教育は本来生涯にわたって自ら学び続ける子ども一人ひとりの姿勢=自ら学ぶ力 を育むこと」であるとし、「教える教育」よりも「育む教育」を基本とする。したがって、この「育む教育」は長期間単位での視点が必要であり、全国一斉学力テストの正答率では、測定することが出来ない。というものである。
 さらに、「育む教育」とは、「職人、芸人の世界」では「弟子が親方の技術を自ら盗み取る」、「正岡子規の教育は共に学ぼう」、「サルの子どもは親兄弟のやっている仕草を見よう見まねで学習」するといった事例に例えている。
 そして、「子どもの理解度の違いに目を配り、個々が理解を深められる子ども主体」の教育環境を整備して「自ら学ぶ力を育むこと」を基本とした教育改革の「試み」であると言っている。
 この文章、一見なるほどと思って読み飛ばしてしまうのだが、最後の文章にひっかかった。文脈では、「犬山の教育改革は、...(中略)...自ら学ぶ力を基本に置いた試み」であるとなっており、「改革」を「試み」という消極的な言い回しで説明しようという姿勢に疑問を抱いたのだ。
 「改革」は、常に抵抗勢力との闘いであり、挑戦的、実験的であるのが世の中の常識であろう。それを「試み」という柔らかなトーンでくるんでしまったのは、教育長自らが、抵抗勢力への遠慮などからであろうと推測されてもしかたがないだろう。
 「試み」を前向きに「チャレンジ」と解釈できなくもないが、「育む教育」を貧相な事例でしか説明できていないため、文脈に迫力がない。したがって、「試み」も自然と消極的な意味合いにしか捉えられない。
 サルの子どもを例に引き出したのは、教育長の主張を補強するには、あきらかにまずい。サルのような自然界では、子どもが単に見よう見まねで学習するだけでなく、親はいろいろなことを教える。毒をもった植物に触れようとすると、親は鋭い叫び声を上げて、それを教え、気付かせるといったことをするし、決してそれは「育む教育」ではなく、「教え→気付く」のパターンなのだ。同じように芸人の世界もそうだ。間違ったことを弟子がすれば、こっぴどく叱られるのは、「まねをする→失敗する→気付く」のパターンだ。
 したがって、「育む教育」を説明する場合は、子ども達が自ら「まねる」機会を増やし、様々なことに「気付いていく」、それは問題を解決する方法や、友達と仲良くする方法、ご飯を美味しく食べる方法、などを自然と理解し、習得していく教育である、といったような文脈のほうが、よいのではないだろうか。
 だからこそ、全国一斉学力テストでは、気付きの途中にいる子ども達は正答が出せない場合もあり、正答率は落ち、正確な学力は測定できない、のだと主張できる。

 しかし、ここで私は言いたい。学力テストとは、その時点で顕在化している学力の評価であって、内在化しているポテンシャルを測る物ではない。気付きの途中にいる子どもは、その時点では学力が顕在化していないのは当然である。ゆえに、犬山市教育委員会は堂々と学力テストに参加して受けるべきである。そして、その結果と計測した内在化ポテンシャルを比較分析し、考察するべきである。それができないのならば、教育長の言う「子どもの理解度の違いに目を配り」といったことなど、まずできないだろう。できたといってもあくまでも定性的比較にしか過ぎず、子どもにとってその時々において、社会で生き抜くために必要な知識・学力は身につかず、遅れる一方になるに違いない。
 犬山市教育長は、もう一度「自ら学ぶ力」とは何か、考え直して欲しい。
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by namuko06 | 2006-02-23 15:53 | ニュース
カーリングの醍醐味
<カーリング>日本女子、準決勝進出ならず スイスに敗れ
 前回のソルトレイクシティ五輪大会では、なすがまま、されるがままに敗戦を重ね、惨敗したカーリングの日本女子チームは、体勢を立て直して、この4年間の特訓成果を、今トリノ大会で、十二分に発揮してくれた。
 カーリングはストーンを自分が思ったところに投げ出す技術、投げ出されたストーンをライン・コントロールする技術、得点をとる戦術、ゲームメイキングする戦略眼といった、複合的な技術・知識が必要な競技だ。特に後者の戦略が重要になってくるため、スポーツ競技というよりは、将棋やチェスといった要素が強い。
 今回のゲームを観ていて感じたのは、日本女子チームの学習能力の高さだ。前大会では、同じような失敗を何度も続けて、ボロボロになるという、悪循環が断ち切れないまま、試合が終わってしまったが、今回は試合中の小さなミス、また過去の試合のミスが試合中に修正されてきたり、同じパターンが発生しても、異なる方法で攻略しようとする向上心などが、随所に見られたのである。
 さらに、スキップの小野寺を中心として、各人の役割や責任の確認を随時行いながら、たった4人とはいえ組織的とも思える動きをしていたのは、素晴らしかった。まさに、「学習する組織」を目の当たりにしたといえよう。
 そうはいっても勝負は時の運も必要で、小さなミスが不運を招くこともあり、残念ながら負けてしまった試合もある。惨敗した試合もある。それでも、今回の試合全体を通して、私は、彼女たちが「学習する組織」を具現化し、私に、胸躍るような試合を見せてくれた事に、感謝している。次回はさらに進化した「組織」による試合、戦略を見せて欲しい。
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by namuko06 | 2006-02-21 18:12 | スポーツ
永田議員の爆弾発言は真実か?
Excite 「信ぴょう性高い」と強調 振り込み疑惑で前原代表
 民主党がふっかけた振り込み疑惑は、奇っ怪な状況に突入している。何しろネタモトの堀江氏が送信したと見られるメールを巡って真贋がはっきりしないからだ。
 そもそも、永田議員のこのメールを質問にぶつけてきたときの言い方に、私は疑問を持っている。どのようなスピーチだったかというと、以下のようなスキームだった。
 (1)このメールは、ライブドア社内で流通しているメールである。
 (2)振り込む先に指定されたAさん(名字無し)は、武部幹事長の息子である。
 (3)メールの内容は、ライブドアからAさんへ3000万円振り込む依頼である。
 (4)メールの差出人は堀江氏である。
 (5)このメールにしたがって、ライブドアからAさんへお金が振り込まれた。
この文脈で見る限り、それぞれ何を証明すれば、このスキームが成立するか明らかである。
 (1)については、メールのヘッダ部分にあるReceivedタグに記述されているメールの受信経路がすべてライブドア内部のドメインのメールサーバであれば、(1)は証明できる。当然Recievedに書かれている最初のメールサーバは、送信最初のメールサーバであるから、そのサーバの時刻が正しければ、送信時間も特定できる。
 (2)については、Aさんが武部幹事長の息子かどうかは、メール内に「武部」という記述がないため、証明できない。
 (3)メール内にそのような記述があるので、これは正しい。
 (4)は堀江氏が持つメールアドレスかどうかを、Reply-To, Return-Pathの記述から判断できる。さらに調べるならば、Message-Idをつかって、送信サーバの履歴を拾って、送信元を特定する。
 さらに、送信時刻が特定できれば、当日日本テレビが堀江氏に張り付いていたわけだから、そのとき何をしていたかわかるはずである。現在マスコミはメールの受信時刻で堀江氏の動向を調べているが、これは大きな誤りだ。
 (5)については、自民党の調査では、そのような事実はないと発表し、民主党は国政調査権にて徹底的に調べようとしている。これについては現時点ではっきりしない。
 このようにみていくと、自民党はAさんが武部幹事長の息子かどうか明確でないという点で反論すれば良かったのではないか。メールの内容と親子関係だけはリンクがとれない情報だからだ。さらに永田議員は、メールを印刷した状態で取り扱わず、電子媒体として受け取っているのならば、上記したような隠れたメールヘッダの部分を証拠として提示すべきだ。これだけでも十分な証拠能力となる。これを出したからといって、ニュースソースが脅威にさらされるわけではないだろう。(受信者が特定されないようにすればよいだけだ)
 まとめると、永田議員は、以下のことを証明しなければならない。
 (A)Recievedの記述から、当該メールがライブドア内部のメールである
 (B)Recievedの記述やメールサーバ履歴から、メール送信時刻を特定し、堀江氏がその時刻にメールを送信していた
 (C)Reply-To, Return-Pathなどから堀江氏が使っているメールアドレスと一致していること
 (D)メールのAさんと武部幹事長の息子が同一人物であること
 これ以上に証明しなければならないことが多いのに、「信憑性は高い」と言い切ってしまう民主党前原代表もおかしい。まずは永田議員が言ったことを証明してみせることから、はじめなければ、疑心ばかり募ってしまう。

 予算委員会という公での質問なのだから、もっと論理的に責めて欲しかった。それにしてもメールや、メールシステムのことを知らなさすぎる。コンピュータ・システムが得意なブレインが居ないのではないかと、民主・自民ともにがっかりしてしまった。
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by namuko06 | 2006-02-19 20:45 | ニュース
温室効果?
Excite:<温室効果>1億年前の大西洋、熱めのお風呂なみ?
この分析をもとに、海が温泉になるのはいつ頃になるか、計算してみよう。
米国カリフォルニア州La Jolla Pierでの空気中の二酸化炭素量は377.83ppm(2004年時平均)だ。8400万〜1億年前に、その3.4倍〜6倍の量があったとすると、1,284.6ppm〜2,267.0ppmの量になる。La Jolla Pierの1970年の二酸化炭素量は326.86ppmだから34年間で50.97ppm一次関数的増加をしているので、1,284.6ppmになるのに、604年かかる。また2,267.0ppmになるには、1,260年を要する。残念ながら私が生きているうちには実現しそうにない。
 二酸化炭素量のデータは以下を参照した。
 http://cdiac.esd.ornl.gov/ftp/trends/co2/ljo.dat
一方温度(気温)の方はどうなるかというと、La Jolla Pier(32°9' N, 117°3' W)の付近San Diego(32°9' N, 117°1' W)では、NASAの温度データを以下のURLから参照して
 http://data.giss.nasa.gov/cgi-bin/gistemp/gistemp_station.py?id=425722930000&data_set=1&num_neighbors=1
その傾向を求めると、 温度=0.02×年ー22.403 となった。したがって、604年後の2,610年には、気温は29.797℃、約29.8℃となる。1,260年後には49.217℃であるから、海水の温度と合わせて考えてみても、San Diego付近の海水がお風呂にちょうど良い温度になるのはおよそ1,000年後ぐらいだろう。(ここでいう気温は年平均気温のこと。年間変動は考慮しない)
 ただし、1,000年のスパンで考えると、もしかすると地球は氷期に入っているかも知れず、気候の長期傾向を調べなければ、本当に海水がお風呂の温度になるのかはっきりとわからない。
 こうやって考えていくと、大騒ぎしている地球温暖化は、大騒ぎするような地球規模でおきているのかどうか、甚だ疑問になってくる。気候は絶えず変動していて、そのある傾向だけを短期間にとらえて恐怖を煽っているだけのような気もしてくる。
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by namuko06 | 2006-02-18 15:24 | ニュース
文藝春秋3月号「愚かなり、市場原理信奉者」
藤原正彦氏が書いた「愚かなり、市場原理信奉者」は、その扇情的なタイトル同様、内容も過激だった。端的に言うと、市場原理信奉者は拝金主義的日和見的であり、日本人の美意識としている惻隠の情を失わせ、経済を衰退させていくという主張だ。
 なるほどと思う部分もあるが、どうも市場原理信奉者というキーワードに違和感を感じる。特に次の一節である。
 「株主とは通常、株主を安く買い高く売ることでキャピタルゲインをねらう人々である。会社との関係は買ってから売るまでの期間に限定される。...(中略)...会社への愛情は皆無といってよい。しかるに従業員は、多くの場合、会社を愛している。...(後略)」
 藤原氏は、この株主の定義を使って、企業経営の株主中心主義、株式市場をとらえている。日本の株式市場にこのようなキャピタルゲインをねらう人々がどの程度の割合いるのか、データがないのでわからないが、もしも大半がそういう人々であるとするなら、なぜ日本の会社は、株式市場に公開上場するのであろうか。多くの企業は、商品市場において競争しており、利益を追求している。利益を得るためには事業を行わねばならず、そのためには資本が必要である。その資本をどこから調達するかと言えば、銀行や株式市場ではないのか。したがって、企業が資本を必要とする限りにおいて、株式市場はなくならないし、その株式市場は、株式を購入した人々(株主)への配当という形で、利益が還元される。その副次的な結果として、企業評価が株価へ反映されるという仕組みなのだ。誰もが知っていることである。
 したがって、株主は、配当を受け取ることにより企業の利益追求を望み、企業が発展していく限り、「会社を愛し」ているだろう。これは決して従業員の会社への愛(従属する愛)とは、異なる。
 さらに、氏はこういう。
 「市場原理とは自由競争であり、規制緩和が不可欠である。規制とは自由の暴走を抑え、正義と弱者を守るためのものである。」
 これはあきらかに理想論であろう。規制をすることによって、官僚主義がはびこり、硬直化していたではないか。国鉄、NTTなどそのような事例は山のようにある。氏は株式市場と商品市場をはき違えて、論説しているように思えてならない。用語の定義をきちんと整理して、再度詳しく述べて欲しい。
 武士道については、私も同感する部分は多い。しかし、一種の社会主義的階層社会であった時代に育まれた日本人的(といっても一部の階級のみ)精神にすぎない武士道が、すべての日本人に適応できるとは思えない。武士を尊敬していた町民や農民に果たして武士道は浸透していたのか、という視点も本文には欠けている。
 ただし、惻隠の情は、現代としても人間として必要なものなのかもしれない、これについては市場原理等々とは別の議論ではないのだろうか。
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by namuko06 | 2006-02-15 18:43 | 読書
自由とは
Excite News:<風刺画>大規模な抗議デモ 東南アジア〜アラブ地域で
 ムハンマドの風刺画事件は一件、表現の自由 対 宗教の自由 といった様相を見せているように思える。根本にあるモノは、「風刺」された内容を見る限りにおいて、西洋社会からみたイスラム人集団への一方的な攻撃的メッセージに他ならないだろう。したがって、表現の自由を許したデンマーク国家へイスラム教信仰者からの過激な反撃が続いているのだ。
 しかし、よく考えてみると、現在起きている現象は政治家のミスリードであることは明白だ。まず、デンマークや西欧各国での「表現の自由」とはそれぞれの国家内で制定された法律の下許可された「自由に表現する権利」に他ならない。それを行使したからと行って、その国家内で処罰されることはないだろう。一方、ムハンマドや神の絵を描いてはならいとい内容はコーランに記述されており、コーランは、イスラム教国では国家運営のための法律にほかならず、したがって、ムハンマドの絵を描くことは違法行為となる。このように考えると、「表現の自由」の権利を認めた法律を制定した国家と、ムハンマドの絵を描くことを違法とした法律を有する国家間の齟齬が生じたのが今回の事件なのだ。
 すなわち、デンマーク政府が、政府責任は無いとコメントしたことは、国民の権利を守る国家としての責任逃れに他ならない。一方イスラム教国家が政府として暴動を鎮圧して、きちんと国際社会に見える形で、欧州諸国に抗議しなければならない。一部のイスラム教指導者は暴力沙汰なしに、事態を収拾しようという心意気は見られる。
 私の知る限り、国家として「表現の自由」の権利を行使する際に倫理性や社会性を制限行為としてみとめたのは、フランス大統領だけであった。
 ただし、今回の問題は西欧諸国だけが責められるものではない。特に西欧諸国に生活するイスラム教信仰者は、西欧諸国における「表現の自由」によって、イスラム教もキリスト教も、なんであれ、風刺される可能性はあるということを知っておかねばらならず、悪口を言われたからといって暴力行為へエスカレートするのは、邪道である。ペンに対抗するならばペンによって風刺仕返すぐらいの胆力がなければ、イスラム教社会はますます、西欧自由主義社会から見放されていくだろう。
 事態の急速な収拾を祈るばかりだ。
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by namuko06 | 2006-02-12 11:10 | ニュース
男たちの大和
 映画「男達の大和/YAMATO」が大ヒットしているというので、観に行った。しかしその噂とは裏腹に、劇場は7〜8人ほどしか入っておらず、閑散としていた。
 さて本編であるが、戦艦大和の最後の乗員達のドラマであるが、大和の姿を再現し、その最後の戦闘シーンを現代によみがえらせたその企画は大成功に終わったに違いない。その結果、航空機対戦艦の戦いがいかに無意味か、あらためて大和の最後の出撃が「死に場所を与えられた」という言葉に集約され、むなしく響く。戦闘シーンで大和乗員が撃たれ、死んでいく様はリアルに描かれているが、リアルさを追求することによって、戦闘自体の無意味さがヒシヒシと伝わってくる。これは戦闘で米軍航空機も撃たれ炎上して海上に突っ込んでいくのだが、米兵の死とはかなり隔てて描いているからで、観客の視点がいやでも大和乗員と等しくなっていくためであろう。
 映画全体は説明的で、冗長すぎるきらいはあり、好きな映画の部類ではない。しかし、生き残った水兵が年老いて現代まで生きながらえた男を仲代達也が好演しており、映画全体に横たわる無意味さを否定するように、「生かされた理由」を背負っているようで、素晴らしかった。
 私も「死」について深く考えたことがある。何度となく死地に足を踏み入れたからかも知れないが、これまでは「死ぬる理由」「死すべき理由」といった、本編における「死ニ方用意」の覚悟はすでに出来ていると思っていた。しかし、本編を観て実は死ぬ覚悟というのは、単に生きる覚悟にしかすぎないことがわかった。もっと大切なのは、自他における「生かされる覚悟」のほうが人生における意味合いは深いと思われる。この覚悟はまだまだできていない。
 映画の中で中村獅童と反町隆史が演じるキャラクターはステレオタイプでわかりやすいが、この二人のやりとりが「生かされる覚悟」を具現化したものではないかと想像し、そこにヒントを見いだしたい。
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by namuko06 | 2006-02-11 16:40 | 映画/ドラマ
離婚弁護士
フジテレビ放映のドラマのノベライズ版「離婚弁護士」読了。ドラマ同様の軽い感覚で、人間の機知を感じられる小説だった。自分の人生を他人に決められるのは嫌だという主人公の強い生き方に爽快さを感じることができ、日頃のストレスも吹き飛ぶような展開だ。是非「離婚弁護士2」の方もノベライズ版を出してもらいたい。またドラマの方も続編を期待している。
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by namuko06 | 2006-02-05 18:10 | 読書