ふと思いついたこと
by namuko06
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これぞ、役人魂
午後8時に明かり消します 温暖化対策で環境省

 自らが設定した目標は、何があろうと達成するという、官僚的役人魂を見た感じだ。これから具体的な検討結果がでるのであろうが、その他にも以下のような対策はどうであろうか。
 ・午後6時以降は冷暖房をつけてはならない(残業してはならない)
 ・タクシー/ハイヤー/自家用車を利用してはならない
 ・給湯/自動販売機設備は撤去する(水筒持参または外部で購入)
 ・庁舎内緑化を行う(廊下や壁、机の上は植物だらけ)

 人間が活動する限り、CO2は必ず出る。政府のたてた目標を達成するには、人間の活動を制限する、もっと大規模な対策が必要なのだ。日本の経済活動に大きな影響がでるような対策が。
 たとえば、都市部への車の乗り入れを全面禁止する。航空旅客機の運航を制限する。鉄道の間引き運転をする。都心部の夜間照明を消灯する。自動販売機をすべて撤去する、などだ。
 役人が、環境問題を真剣に考え、将来の地球のためにCO2削減が最大の命題と思っているのならば、どのような障壁があろうと、常識にとらわれず対策を実施すべきだ。その心構えもなく、小手先だけで、なんとか目標を達成しようとする、それこそ「役人根性」と蔑視されるものだ。
 役人ならば目標を見直すことは絶対にしない。しかし、真のエリートならば、実現可能な目標を定め、着実に実現可能な対策を実施していき、結果として、将来の日本のためになることを行うであろう。このニュースを見るだけで、「官僚=エリート」ではないことがよくわかった。
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by namuko06 | 2006-03-29 21:57 | ニュース
「美しさ」を伝える方法は?
 藤原正彦著『国家の品格』読了。さすがベストセラーだけあって、読みやすい本だった。内容も理解しやすく、納得のいくもの。本の帯に書かれた過激なコピーに買うのを躊躇していたが、読んで良かったと思う一冊だった。
 100%、著者の言うとおりだとは思わないし、表現の仕方にも過激だったり、物足りなかったりするところもあるが、共感を得る部分は多い。特に「論理の出発点は仮定」「長い論理には注意しろ」といった、なにかを実行する上での理屈をこねる際に、私も気をつけている点であり、他人の意見などもこの2点についてよく注意して見ているからだ。本のタイトルになっている品格については、共感半々といったところ。論理よりも情緒を育てることはよくわかるのだが、著者が言っておられるように、情緒は蓄積しない、それをどうやって移転し蓄積し、育てていくかというところが、私自身に回答がない。もう少し考えていかなければならないテーマだと実感した。
 「美的感覚」の重要さは、数学ばかりではなく、工学の分野すべてにおいて重要である。昔、コンピュータ・プログラムを書いているときに、先輩に、「美しいコードを書きなさい、そして証明できること」とよく言われた。「証明できる」とはいわゆる関数型プログラミングを心得よ、という意味なのだが、「美しいコード」というのには泣かされた。先輩の美的感覚がどうしても自分の美的感覚が合わないときもあり、しきりに記述し直しという目にあったからだ。しかし、そうやっているうちに、コードの美しさとはどうあるべきか、というルール化をとうして、自分の美的感覚は磨かれていき、さらに美しいコードを追求できるようになった。この感覚は、数十年が経った今でも生きているようで、若い人が書いたプログラムをみて、「きたない」「きれい」という感想の方が、プログラムの論理構造よりも先に感じる。大方きたないプログラムは、構造もあやしく、バグも多い。おそらく、「美しさ」の中に、精密さ、正確さ、幾何学的な要素のような感覚も含まれているのだろう。ただし、このような情緒的な感覚を、後進に伝えるのはきわめて難しい。私が教わったように、徹底的に叩かれて身をもって覚えるしかないのかもしれない。
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by namuko06 | 2006-03-28 15:21 | 読書
やさしさに触れてやさしさを身につける
聖路加国際病院で小児癌を専門にしている細谷亮太氏の「いつもいいことさがし」を読了した。友人から借用して読んだのだが、なかなか心洗われたエッセイだった。暮らしの手帖という雑誌に連載されていたものをひとつの書籍にまとめたものだが、本ブログのタイトル「やさしさに触れてやさしさを身につける」の章のいくつかの一節は、私の心を打った。
 『子どもたちが無表情になってきている、と心配している小児科医がいます。名古屋駅で泣きわめいていた男とのを思い出した。ずーっと泣いても母親が振り向いてくれなければ、そのうちにあきらめて泣かなくなってしまうでしょう。そして表情が消えるのです。』
 『やさしくしてもらって、やさしくしてあげることを学ぶのは、そんなに難しくはないかもしれませんが、やさしさに触れずにやさしさを身につけるのは、なかなかできないことだと思うのです。』
 『...カザフスタンに行ったことがあります。...自然がいっぱいあって、子どもたちもじつに表情ゆたかでした。ひとびとも、とてもやさしかったのです。やさしさを取り戻すには、自然を心の中でじゅうぶんに感じないといけないのかもしれません』
 他人に対するやさしさは、感謝の念からうまれる。生かされている喜びからうまれる。やさしさはやさしくされないとうまれない。なるほどだと思う。

 さて、小学生の自殺については、ショックをうけたが、すべての状況はなかなか明らかにならないまま、遺族の記者会見が開かれた。

学校の対応を批判 小5自殺で遺族が会見

 会見を開いた親族の方は、テレビで見る限り、悲しさ、悔しさ、怒りといったものが溢れていた。また校長もテレビのインタビューに答えていたが、無表情で「対応に落ち度はない」と言っていた。内容はどうであれ、校長の表情から、気持ちを読み取ることが出来なかったことが残念だ。本来自校の児童が自殺という形で死を選択したのだから、なんらかのわき起こる感情が表面にでてくるのが自然だろうと思う。悲しみ、「なぜ」という疑問、または自分たちの責任はないのかという不安や絶望。こういった感情がみえず、なにやら頑なな態度だけが感じられ、「ああ、この人はやさしくないな。」と感じた。この校長は人にやさしくしてもらったことが無い人ではないだろうか。学校の責任問題にしてもらっては困るという気持ちは十分わかるが、こんな時だからこそ、責任あるなしの議論はさておいても、人間らしく振る舞うことは、組織の長である立場なら当然だと思う。


 
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by namuko06 | 2006-03-20 10:06 | 読書
みごとな勝ちっぷりだ!
王ジャパン決勝進出 6−0、韓国に雪辱

 勝利、おめでとう! 韓国チームも日本チームも素晴らしい試合を見せてくれた。お互いに気負いもなく、持てる力を最大限に引き出した勝負だった。
 日本チームのメンバーは、打撃不振で硬くなっている福留らをさげ、イチローを3番に据えるなど、新たな息吹を感じさせるスターティングだった。特にレフトに多村という布陣は、本戦のポイントだろう。何回の場面だったか忘れたが、レフト線を切れるほどの大ファールを多村はフェンスに体をぶつけながらキャッチし、日本の守備の厚さ、レベルの高さをアピールした。さらに、大きなフライはライト、イチローへ。これも見事な俊足を披露し、迷うことなくキャッチし、勝利への執念を日本選手全員が確認した形となった。これが、流れを日本へ引き込むことになる。その後の攻めで、代打福留が、平常心でホームランを打った。これまでの調子云々ではなく、若い頃から上原とともに国際試合を経験し、上原に報い、自身の気持ちを表現することができた、一発だった。これでゲームの流れは完全に日本に来たと感じた。韓国選手も、それを感じたのだろう。大きなフライを追う姿は気力が萎えていた。また、ライト打ちからレフト方向へと、シフトさせた日本コーチ陣の攻めの戦術眼も、勝利を導いた。戦略・戦術・平常心・勝利への気持ちが一致したからこそ手に収めた、本戦だった。感動した。
 さて、次は決勝キューバ戦である。キューバの選手はとにかくよく動くらしい。今日と同じように平常心があれば、相手の雑な面も自然と見えてくる。そこがねらい目だ。頑張れニッポン!
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by namuko06 | 2006-03-19 19:31 | スポーツ
教師と児童の間の信頼関係は
 うちの小五の次女が夕食の後、暗い顔をしながら、
 「宿題しなくちゃ」
と言って部屋に入っていった。せっかくの土曜日だから、明日にすれば、という私の言葉に、
 「たくさんあるから、やらないと終わらないの!」
と少し切れたような口調で返してきた。この子の担任は、子どもが抱えきれないほどの宿題を出すことで有名な教師だ。しかもやってこないと、連絡帳に赤文字で「宿題忘れ」と書かれるし、一日中ねちねちと文句を言われるらしい。それが嫌で、うちの子はきちんとこなしてきている。なので、この切れたような返事で、「ああ、またか」といった感想を持ちながら、子どもに
 「適当にやっとけよ」
と声をかけた。
 およそ3時間が経ち、すでに寝ているのかと思ったが、長女が私のところに来て、次女が泣いているよ、と告げた。なにごとかと思い、震えて泣いている次女の肩をだきながら
 「どうしたんだい? わからなくて困ったの?」
と聞いた。次女はコクリと頷いた。
 「じゃあ、教えてあげようか。」
と聞くと、
 「先生が、親に聞いちゃ行けないって言うから、教えないで」
と、すすり上げながら言った。私は奇妙な感じを受けた。
 「なんで先生は親から教えてもらっちゃいけない、と言ったの?」
とさらに聞くと、
 「親に聞くと、先生が宿題出し過ぎるって、父兄参観の時に言われるのが嫌だからだって」
と答えた。なんということだろうか、この担任の教師は自分の体面を保つために、子どもに「宿題がわからなくても親に聞くな」と命令しているのだ。もしも、わからないまま宿題を消化できなかったら、それはそれで、「宿題忘れ」のレッテルを貼るのだろう。
 次女は、宿題のある問題がわからず、親にも聞けず、宿題を忘れて先生に文句を言われるのも嫌で、3時間もの間、出口のない迷路を心がさまよっていたのだ。宿題を書いたノートを見ると、何度も書いては消し、書いては消したのであろう、自分が出来る限りのことをやって、問題を解こうとした様子が残っていた。消しゴムのカスも、たくさんあった。そしてそのカスは几帳面に端に寄せてあった。
 私は、この子の体を抱きしめて、
 「よくがんばったね、もうだいじょうぶだよ」
と言った。そうしたら、大きな声で私の腕を掴んで泣き始めた。腕のシャツが涙でしみこんで熱くなった。しばらく泣いて、少し落ち着いてきた頃に、
 「先生は、親に聞くなっていったかも知れないけれど、いろんな方法で考えてもわからなかったら、聞いて良いと思うよ。それにパパは、先生に文句なんて言わないから大丈夫だよ。」
 と話すと、うんとうなずいて、ある問題を指さして
 「これがわからないの」
と言った。少し複雑な問題で、落とし穴に落ち込むと、おそらくはい上がるには、きっかけを与えてあげなければできないような問題だった。次女もその落とし穴に嵌り、1問はとけてもそこから派生した問題は解決方法がみつからなず、パニックになったと思われた。私は「よりにもよって、こんな問題を出して!」と思いながら、わからなくても人に聞くなという担任の、児童への悪意を感じた。陥った穴から引き上げて、気づきを与えたところ、すらすらと解けていく。次女はほっとしたような顔になり、青ざめていた頬は、赤味をさしてきた。
 時間も遅いので、残りは明日に回すことにさせて、風呂に入れた。風呂から上がったときに、私の膝に子どもを抱きながら、
 「誰がなんといおうと、自分で精一杯やったのに出来なかったら、そこで一度休んで良いんだよ。先生が、親に聞くなといっても、本当にわからなかったら、そしてわかりたいと思ったら、パパに聞いていいんだよ。ママに聞いて良いんだよ。宿題がたくさんあって、辛いのはわかるよ。嫌だよね。だからいっぺんにやらないで、少しずつやってもいいんだよ。そして、わからなくなったらパパに聞いてご覧よ。答えは教えないけれど、どうやって考えたらよいか、少しだけ教えてあげるね。そうしたら、先生が答えを親に聞くな、ということにも違反しないよね。」
と少し、論点をずらしながら語りかけた。次女は、まだしゃくり上げながら泣いてはいたが、涙はほぼおさまって、
 「わかった」
と言ってくれた。
 「それじゃぁ、明日は午前中遊ぼうね。」
と私が言うと、
 「うん、残りの宿題は簡単だから、すぐできるから大丈夫!」
と明るい声が帰ってきた。
 はっきりいって、次女は担任のことを信頼していないのは事実だろう。宿題がわからない場合にどうしたらよいか、という道筋を断ち切って宿題を出す、できないときは罰めいたことをする、という2点において、不条理であると、次女ははっきりとわかっている。もし、これが担任教師との間に信頼関係があれば、できなかった宿題は、考えたけれどもわからなかったと言えるだろうし、「親に聞くな」という命令ももっと柔軟に対応できたであろう。不条理な網をくぐり抜けて、助かる道を模索して、担任教師に甘えたりすることができたであろう。甘えたことで叱られたとしてもだ。

 <小5自殺>卒業式控え…自宅で首つる

 この児童も私の次女と同じ小学5年生だった。ニュース記事に反して、教師の責任を強く示唆しすぎるといった、コメントも多数見受けられるが、私は、この児童が残した言葉が妙に気になる。
 『(担任の)先生は僕の気持ちを分かってくれない』
 教師がすべての担当児童の気持ちを常にケアしなければならない、というのは物理的に無理であろう。特にこの年代であれば性徴期に入ったり、友人関係もグループ的なものへと進歩するなど、クラス管理は複雑になっていく。だからこそ、この年代の担任は、クラスの核となる児童を見つけ、グループ管理的な要素を持ち込んだり、体質的精神的に不安定な児童を他の児童に悟られないようになにげなくケアしたりという、大局、小局両面からのクラス運営が重要となる。この言葉が本当で、すくなくとも自殺した児童は担任教師になんらかの不満があり、それが自殺に結びついたとしたら、この児童の担任教師はクラス運営、児童の管理といった面で見落としがあったにちがいないと言えるだろう。
 また、教師以上に親の管理責任もある。子どもの担任生徒への悩みが、クリティカルなものなのかどうか、事前にわかっていれば、と思うと残念でならない。
 今回、うちの次女も、担任教師の不条理なやりかたに、はまりこんでしまっていた。信頼関係のない教師と児童との間では、親の役割はきわめて重要だとあらてめて感じる。もしも、次女が悩んでいることに気がつかず、「いつまで起きて居るんだ!」と叱ったりしていれば、「パパも先生も私のことをわかってくれない」と思って、さらに落ち込んでいったに違いない。そう思うと背筋が寒くなる。
 自殺した児童や親御さんは、たいへんお気の毒な事だったと思う。親と子の関係を真剣に考えられたのもこのニュースのおかげであり、信頼関係が築かれていない教師と児童の間を潤滑にするのも親の役目であることをあらためて、考えることが出来た。なによりも次女のパニックをすくうことが出来た。感謝とともに、自殺した児童のご冥福を祈ります。
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by namuko06 | 2006-03-18 23:44 | ニュース
必然的なり、準決勝進出。平常心を保て!
Excite :<国別対抗野球>2次リーグ突破 王監督「神風が吹いた」
 米国のメキシコ戦敗北は、至極必然的であった。日本対米国戦を見ていても、守備力や投手力は日本の方が上回っていた。その戦いでお互いに死力を尽くしたために、米国は疲弊したまま、メキシコ戦に望まざるを得なかった。日本も同様、結果として韓国戦に地力の差で敗れたのだ。米国は、ボブ・デービットソン審判員の本塁打を二塁打とする誤審により、ゲームの流れを寸断されて、集中力を欠いてしまったのだ。米国へ有利と思われた誤審も、結果的には米国は優勢さを保てず、その後ずるずるとメキシコの勝利への渇望に負けていってしまったのだ。
 さて、こうやって考えると、日本の準決勝進出は、納得のいくものであり、決して偶然でもたらされたものではない。しかし、韓国戦は非常に難しいものになるであろう。勝ちに乗じたものはさらに勝つものであるが、勝ちに奢れたものは負け、負けを恐怖したものは負ける。いかにして、日本チームは、平常心を保てるか、そこに勝利のキーがある。前回の韓国戦でイチローがファールボールを観客にじゃまされてとれなかったときに、平常心を忘れてしまった。あのフィールドでの怒りの暴発が、メンバーに伝染し、勝ちを焦ったために負けたのだ。ホームラン攻勢では勝てない。機動力こそ日本の持ち味である。現在の地力は韓国の方が上であろうが、平常心のまま柔軟な気持ちで挑めば、敵は勝ちに奢れるか、勝ちを焦り、自然と負けに向かうだろう。
 私は、祈る。日本が勝つことよりも、メンバーひとりひとりが平常心で、集中してプレイできることを。へんな誤審や、妨害もなく、球場での観客の罵声を気にすることなく、プレイできるように、祈る。それがベースボール・クラシックスであり、選手の立場と観客の立場それぞれで、ベースボールを最高の品質で堪能できる試合なのだ。その試合に我々日本の同胞が出場し準決勝に進出していることが、なによりも誇りだ。だから、祈るのだ。
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by namuko06 | 2006-03-17 22:32 | スポーツ
厳罰への布石か?
「ウィニー使いません」 愛媛県警、全職員に誓約書

一連の情報漏洩事件は警察官をはじめとする公務員がたずさわったものは、厳罰に処すべきだと考えている。
 国家公務員法 「第100条 (秘密を守る義務) 第1項 職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。」
 にあたると考えるからだ。故意ではなかったという主張があるかもしれないが、前回紹介したように、数年前からWinnyによる情報漏洩事件は起きており、警察官がこれを知らず、保護対策を放置していたとするならば、あきらかに義務違反だからだ。
 第100条に違反したとしても「第109条 12.第100条第1項又は第2項の規定に違反して秘密を漏らした者」は「1年以下の懲役又は3万円以下の罰金」に処せられるだけなのだが。これを厳密に適用して欲しい。
 地方公務員も、地方公務員法 第34条に秘密を守る義務が定義されている。罰則も第60条の2にあり、国家公務員法と同様である。
 したがって、愛媛県警の「誓約書」なるものは、当然この公務員の秘密を守る義務にたいして、Winnyを使わない誓約をさせるものでなくてはならない。そうでなかったら、何に対しての誓約書になるのか。
 それとも、誓約書をとることによって違反者個人の責任を明確にし、上層部への責任波及を止めるためのものなのか。甚だ疑問の残る処置であることは間違いない。
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by namuko06 | 2006-03-11 09:49 | ニュース
警察ともあろうものが、リスク管理がお粗末
<愛媛県警情報流出>パソコンにウイルス対策ソフトなし

 電子情報流出事件が後を絶たない。しかも公的機関である警察、自衛隊などの危機管理を得意とすべき組織で、発生している。情報流出先が限定されていればリスクもそれなりに小さいかもしれないが、インターネットというグローバル・ネットワークを経由して漏洩しているのだ。日本だけでなく、他国へも流出している可能性は否定できない。また、一次流出先からの再流出も恐い。
 Winnyによる情報漏洩は Winny個人情報流出まとめ に詳しい。今年これまでに発表された事件は、1月に10件、2月に20件、3月(~3/7)に10件である。2004年からの発生状況(全66件)を見ると、
 警察   8件   消防   3件   自衛隊  4件
 検察   1件   裁判所  1件   刑務所  1件
 学校   9件   郵便局  3件   役所   4件
 病院   4件
である。
 これらの事件の大半が私有PCにWinnyをインストールし、Winnyのバグを突いたウィルス感染により、情報が暴露されている。
 今回の事件の問題は、(1)まず、愛媛県警が、私有PCでの公的業務を許可していたことにある。県警のPCと私有PCとの間でデータを移動する際に、媒体紛失などによって情報流出のリスクがある。(2)次に、私有PCの公的業務使用を承認制にしていたこと。これでは、承認漏れのPCは何のチェックや制限も出来なくなる。(3)さらに、公的業務可能な私有PCのウィルス対策ソフトウェア導入は、個人負担であったこと。Winnyを導入しなくても感染したウィルスによっては、情報暴露のリスクが生じる。または感染した私有PCから警察署内の公務PCへの感染リスクがある。
 Winny以外の情報流出事件では、2005年にオリエンタルランドで12万名近くの個人情報流出事件が発生したが、このときはサーバやPCの履歴やインターネットからの不正アクセス方法を検査したが、結果的に流出経路は特定できなかった。このように一度流出してしまうと、その先での二次流出リスクは格段に上がってしまうので、インターネット経由での電子情報流出は不特定な大多数の人間に情報が渡ってしまう可能性があり、何に利用されてしまうかわからないという点で、非常に恐ろしい。
 このようにWinnyでの情報流出は、あたりまえのようになってきているのだから、「WinnyをPCにインストールしている=情報流出させる意図がある」と考えて、対応しなければならないだろう。ましてや個人情報保護法だけでなく公務員法を遵守しなければならない公務員がWinnyをPCに導入する行為は、業務上知り得た情報の暴露しようとした、とみなして厳罰に処すべきだ。
 警察も自衛隊も、対応がすべて甘すぎる。謝罪会見だけですましてはならない。
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by namuko06 | 2006-03-08 20:46 | コンピュータ/科学
応援の向こうにあるもの
Excite News: <リオス選手>金メダルを車椅子の少女にプレゼント
 毎日マラソンの優勝者、ホセ・リオス選手が応援していた少女に、金メダルを贈るという行為は、少女だけでなく、競技を応援する人々が金メダルをもらった気持ちにさせてくれる。
 応援するものは、選手のひたむきな競技姿勢や、苦しみを乗り越えようとする姿、自身の能力を最大限に引き出して、相手と競い合う姿、などに惹かれ、声を振り絞って応援するのだ。その行為は決して報われることを目的としたものではなく、好きな選手の勝利や、選手達の活躍を祈るものである。「がんばれ」という一言は、確実に選手達に届いているそして、その選手を後押ししていると信じて、応援するのだ。まさに、祈りである。
 それが、「祝福」という形で、少女に金メダルがもたらされた。この少女の応援が、リオス選手にとって特別だったものに違いない。特別な祈りには、祝福が待っているのだ。そしてリオス選手は、この日本でも、帰国したスペインでもその行為が讃えられるであろう。
 ひたすらに応援し、祈ることで、応援するものも、選手も精神的な昇華ができるのである。昇華した印として、応援する人々の代表として少女は、金メダルを贈られたのだ。スポーツ大好きな私たちは、この祝福を受けた少女を、讃えようではないか。応援してきて良かったと。これからも、もっと応援するぞ、と。
 そして、このような祝福をありがとう、リオス選手よ。
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by namuko06 | 2006-03-06 23:43 | スポーツ
テロリズムの内側
吉村昭著「桜田門外ノ変〈上〉」「桜田門外ノ変〈下〉」読了。本書は、安政7年(1860年)3月3日、桜田門外で大老井伊直弼を暗殺する水戸脱藩士で、この暗殺隊を指揮した関鉄之介の視点で書かれたドキュメンタリー(風小説)である。
 幕末の水戸学派の思想がどのように形成されたのか、今ひとつ納得していなかったのだが、本書を読んで有る程度理解できた。
 1806,7年にロシア艦が樺太、千島、蝦夷北部に来襲してきてはいたが、水戸藩の人間にとっては遠い国での出来事に過ぎなかった。しかし、文政7年(1824年)、大津浜にイギリス艦が来て、12名の異国人が上陸した事件が起きた。これは米国ペリーが浦賀に来航する29年前である。このときの水戸藩、幕府の衝撃は甚だしいものだったにちがいない。とくに直接交渉にあたった水戸藩の動揺は、毎日のように艦砲射撃を行うイギリス艦に脅かされており、生きた心地はしなかっただろう。個人的にはこの艦砲射撃は空砲で時刻を知らせるものだと思うのだが、当時の水戸藩にはそんなことは通用せず、威嚇行為に思えたに違いない。
 このような事件背景があり、もしも外国が日本に攻めてくるならば、長い直線的な海岸線を持つ、水戸藩こそ、先陣となるであろうという危機意識が醸成され、外国を排斥するためには、まずは士民の意思統一と武力増強が必要と考えていった。意思統一のためには、信仰を統一しようと言うことで、象徴となる天皇を崇拝し、神道によって人心を一つにしようと計った。このため、水戸藩内では神道対仏教といった一種の宗教戦争めいた事件が多発する。さらに武力増強は藩主から幕府への働きかけを行うのだが、なかなか認めて貰えず、水戸藩の危機感と幕府のそれの間のギャップが、水戸藩への反逆意志ととらえられてしまう。このような中で、藤田東湖のような尊皇攘夷論が水戸藩内に台頭し、幕府との歩調はますます狂ってくる。
 そして、井伊直弼が大老に就任し、朝廷の勅許も得ず「日米修好通商条約」を締結してしまう。これに反対する水戸藩主・徳川斉昭らは、永蟄居などの処分がならされ、安政の大獄がはじまり、井伊直弼の独断政治の始まりとなる。この安政の大獄は、水戸藩士をねらい打ちにしたような事件であり、藩士だけでなく、家族、親類など多くの者が投獄され獄中で死んでいったり、追放されたりした。このため水戸藩では、内政が出来ず、朝農民などのコントロールも覚束なく、経済も停滞し、ひどい状態に陥っていった。
 大獄は次々に行われ、水戸藩が取りつぶしにあうのではないか、という極限まで追い込まれた結果、一部の急進派により井伊大老の暗殺が計画され実行されたのだ。
 本来ならば、ケンカ両成敗により水戸藩も、井伊直弼の彦根藩もお取りつぶしになるところだが、赤穂浪士討ち入りのような両藩の内戦状態を避けるために、大老の死を伏せたまま子の井伊直憲へ継がせたのだった。水戸家への処罰も当主の徳川慶篤のみ軽くされるだけで、ありか割らず水戸家への弾圧は続いた。
 このため、桜田門外の変の2年後老中・安藤信正も水戸脱藩士に襲撃されるなど、幕府中枢への恨みは甚だしいものがあった。このあと、桜田門外ノ変を指揮した、関は、日本全国を逃亡旅行したが、最後には水戸藩士に掴まり、幕府に送られ、斬首されてしまう。
 桜田門外ノ変は、赤穂浪士討ち入り、二・二六事件と同様、日本の歴史的テロリズムの一つとして数えられている。本書はこのテロ実行犯側の視点でかかれており、井伊直弼を暗殺する必要性が膨大な資料をもとにきっちりと、書かれている。赤穂浪士の討ち入りは、あくまでも仇討ちと幕府の処置方法への不服申し立てであった。しかし、桜田門外ノ変は、水戸藩の実情を打開するため(弾圧から逃れるため)だけでなく、外敵から国をどのように守り、どのような方向に持って行くのかというイデオロギーの決定的な違いによるテロだったのだ。さらにいうと、この桜田門外ノ変は、単なるテロではなく、水戸藩の急進派達は、鳥取藩や薩摩藩などの同士によびかけて、井伊直弼を殺害するのと同時に、京都に兵をおくり、天皇を擁して、朝廷中心の政治体系を一気に作り上げようというクーデターだった。
 このクーデターは失敗し、テロだけが成功するという結果だったが、幕府中枢を瓦解させるには十分であり、その後、薩摩・島津久光、一橋慶喜、松平春嶽、会津・松平容保などが台頭してくることになる。そして、水戸を起点とした尊皇攘夷思想は、倒幕思想と公武合体思想へ分離し、極化していき、全国に内乱状態を引き起こしていく。
 本書を読む前は、桜田門外ノ変は、単なる水戸藩を脱藩した暴走浪人が手当たり次第起こした事件の一つだとばかり思っていたが、そうではなく、たった一回の、しかも憂国の志士によるものであることが理解できた。幕府は権威を維持するために権力を使って押し込んでくるため、支配下に置かれている者はどうしても打開するために武力を用いてしまう。他の土地や外国に逃げることさえも出来なかった中で、解決策を考えていくと弾圧している者を除いてしまうという方向に行ってしまうのはしようがないことだ、と思う。
 私個人としてはテロリズムには反対であるが、テロへ至るプロセスや思いなどは、本書を読んで十分に理解することが出来た。貴重な本である。
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by namuko06 | 2006-03-02 13:08 | 読書