ふと思いついたこと
by namuko06
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いもしし
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我が家では、今年の干支である「いのしし」のぬいぐるみ「いもしし」が人気である。最初は次女にサンタクロースがひとかかえもあるサイズをプレゼントしてくれたのがきっかけで、中くらいのが欲しい、小さいのが欲しいと、長女や妻のリクエストに応え、探しに探して、やっと8頭目が入手できた。実はもう1頭入手したのだが、次女の友達に譲った。とにかく、手足がブランブランと揺れる様、手触り、重さなど、よく計算されたデザインになっている。販売元は、あの「顔が命の〜」吉徳である。「いもしし」の専用ホームページもあり、これから大きなキャラクターに育てていくのかとおもいきや、再生産の予定もないとか。残念ながら、現在世間に出回っている物でお終いのようだ。

私も、娘に1頭譲ってもらった。あぐらの中にすっぽりと嵌り、それがまた心地よい。
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by namuko06 | 2007-02-03 14:25 | 趣味(苔など)
内部調査では明らかにはならない
<福岡いじめ自殺>教諭発言、一転因果関係認めず 校長会見 [ 10月16日 10時32分 ]毎日新聞

 福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、合谷(ごうや)智校長が16日未明、記者会見し、男子生徒の1年時の担任教諭で、現在2年の学年主任(47)が、男子生徒に対するいじめ発言を繰り返し、それが発端になって生徒たちによるいじめが広がったことを認める一方、教諭の発言と自殺との直接の因果関係については「認められないと思う」と述べた。

 合谷校長は15日朝、自殺した男子生徒の家に赴き、遺族に対して「教諭のいじめ発言は自殺に結びついている」と説明していた。だが、16日未明の記者会見で、合谷校長は「遺族への説明時には冷静さを欠いてしまい、『因果関係がある』と説明してしまった。もう一度考え直すと情報が少なく、より多くの情報を集めて分析してみないと因果関係については分からない」と述べた。学年主任は15日、体調を崩したという。【倉岡一樹】

 ◇全生徒対象にアンケで「調べ直す」…生徒宅訪問の校長

 合谷校長は16日午前1時半すぎに教頭とともに自殺した男子生徒宅を訪問、両親と2時間近くにわたって面会した。父親によると、校長は全生徒を対象に教諭らによるいじめについてのアンケートを16日に無記名で実施することを伝え、「もう一度最初から調べ直します」と答えたという。

 校長らは面会後、報道陣の質問に一切答えず、無言で車に乗り込んだ。

 自宅玄関で取材に応じた父親は「(1年時の)担任が引き金となってその後の(生徒たちによる)いじめが続いたという説明を受けた。でも、私たちが思っているのはそうじゃない。(担任のいじめは生徒が)2年になってからも日常的に続いていた。納得できない」と語気を強めた。

 言っていることがなんども変わるというのは、管理責任者としての校長という立場からみても、最低な対応である。しかも、謝罪内容が変わるというのならば、もう一度遺族の前で、説明しなおして、承諾を得てから会見を開くべきであろう。そういった、大人の対応ができないところからして、校長失格であり、学校運営、教師の管理もずさんだったことをうかがい知ることが出来る。
 このような学校が存在していること自体、許されぬことであり、これを野放しにしている関係者は、事なかれ主義で過ごしてきたこれまでの対応に恥を知るべきだ。

 時代錯誤のようなことを言うが、役人と言えば昔は武士だった。不祥事が起きれば、切腹、家名断絶・一家離散、というのは常道だったはず。だからそれなりの覚悟で仕事に臨んでいたわけだが、現代の役人(教職員も役人)は、それだけの覚悟は皆無だ。もちろん、きちんと覚悟して職務に望んでいる人も多いが。
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by namuko06 | 2006-10-16 12:30 | ニュース
Q-STEERゲット!
今日(9/30)発売のチョロQのラジコンQ-STEERを2台購入。これまでのチョロQはゼンマイ仕掛けで直進のみだったが、これで念願のリモコン操作ができるようになった。お茶の間テーブルがレース上に早変わり!湯飲み、箸たてをかいくぐりながら、テーブルを集会させるレースを次女と一緒に楽しんだ。
 サイズはチョロQサイズ。パワーもそこそこあり、バックしたりキュルキュルと音をたてて曲がる姿は、めちゃくちゃ可愛い。パトカータイプも発売予定なので、是非ゲットしたいところだ。d0053733_145567.jpg
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by namuko06 | 2006-09-30 14:06 | 趣味(苔など)
花火遠隔観賞
d0053733_20202084.jpgd0053733_2020321.jpg足立区の花火を遠隔観賞した。子どもたちにも見せて楽しんだ。しかし、国土交通省が設置している荒川の監視用カメラでは、残念ながら音は伝わってこない。仕方がないので、私が「ひゅるるる〜、どど〜ん」と口まねをすると、次女は「ハハハ、へんなおと〜」と、ややうけ。
 まぁ、パソコンとインターネットで、遠くの場所で打ち上げられている花火を見る事が出来る、というのを理解できただけでも、子どもにとってよかったかもしれない。
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by namuko06 | 2006-07-27 20:29 | 日記
放任ではなく放置、主義ではなく怠惰
 わらび餅を作る教室に家族で参加した。パン作りやウィンナー作りと同じ教室だったので、若いカップルから、子ども会、親子連れで大いににぎわっていた。わらび餅は、わらび粉に砂糖や水などを入れて、鍋を火にかけ、ひたすら混ぜ、練る作業だ。粘度が上がると、混ぜるだけで一苦労、子どもたちと交代しながら、焦げないように必死で練った。
 さて、問題はわらび餅作りではなく、となりのウィンナー作りに来ていた家族だ。3歳ぐらいの男の子が教室中をひたすら走り回っている。どたどたと床の埃を舞い揚げながらだ。食べ物を作るこういった教室では、結構清潔にはうるさく、手洗いやテーブルの消毒などこまめに行っている。その中で、その子どもが、床に寝そべった手をテーブルにこすりつけるような行為は、私には汚くて見ていてぞっとするものだった。また、わらび餅作りでは卓上コンロを使っているので、練っている人にその子どもがぶつかったりすれば、間違いなく誰かがやけどをするだろうと、思うと冷や冷やしっぱなしだった。それは誰もがそうだったようで、その子どもがこちらに来ると、何度も注意していたのだった。あまりにも危ないので、「この子の親御さんはどちらですか?」と言ったところ、やっと父親が登場。しかし、効き目はなく、またも子どもは放置されたまま、親は自分のウィンナー作りにいそしんでおり、走り回っていた。
 この母親はというと、不思議な感覚の人間で、私達が作業していたテーブルで使っていた椅子を、ちょっと椅子から離れた隙に、自分のテーブルに持って行ってしまったのだ。自分のテーブルのそばに空いた椅子があるにもかかわらず。そこで、私は「この椅子使っているのです、持って行かないで」というと、「すみません」ではなく「わざわざ持ってきたのに」と非難するような口調で返してくる。けんかするのもばからしく無視をきめこんだが、この親にこの子あり、というのがなんとなく納得してしまった。
 放任主義という子どもをのびのびと育てましょう、という主義があるようだが、今回の走り回る子どもは、そのような主義で育てられているのではない。親が何かをしている間、子どもを野放しに「放置」するという、たんなる子育ての怠慢、怠惰な行為である。自分の行為が他人にどの程度の影響を与えられるかわからない人間は、自分の子どもの行為についても推し量ろうとはしない。今回の親子はまさにその典型だろう。
 子育てに対する責任という抽象的な言葉で、かつては私も書いたり喋ったりしていたが、本質的には、行為に対する怠惰か、そうでないかの違いでしかない。怠惰な人間は子どもを生んではならない。生まれた子どもが不憫である。自分の子どもを含めた自身の他人への影響を想像しない怠惰こそが、社会性の欠如を露呈させるのだ。そこに考え及ばない人間は、大人としての役割を果たせていないのだ。
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by namuko06 | 2006-07-25 15:48 | 教育/子育て
だるまさんがころんだ
 うちの子どもたちは、いつもは子ども部屋にあるベッドに離れて眠っているのだが、夏になると和室に布団を並べて寝るようになる。今年もそんな時期がきた。並んで寝るのが楽しいのか、部屋が暗くなっても、なかなか寝ない。ぺちゃくちゃおしゃべりをしたり、おもちゃで遊んだりしている。
 昨夜も、3連休の最後の夜だったせいか、ハイテンションな二人は、がさごそ、ぺちゃくちゃとかなり遅くまで起きていた。妻も私も「はやくねろよ〜」「明日は学校だよ〜」と言ってはみるものの、まったく聞く耳をもたない。
 そこで、私はそっと和室に忍び寄り、いきなり部屋の明かりを点けた。そうしたところ、次女はちょうどなにかをとろうとしていたのか、右手が枕の上に伸び、左膝を布団につけ、右足が空中に彷徨ったまま、体が硬直状態。その状態のまま、顔は枕に突っ伏している。
 私は、笑いをこらえて、「こらっ!」と言いながら、次女のおでこをピシリとはたく。「そんな格好のまま寝ている人はいないぞ〜」
 それを聞いた長女はあわててタオルケットを頭からかぶり、ゆっくりと私に背を向ける態勢に動いている。私は、「動くんじゃない!」と、長女のおでこをピシャリ。
 まるで、だるまさんがころんだで遊んでいるようだ。しばらく仁王立ちになって二人を見ていたが、次女は硬直状態からピクリとも動こうとしない。長女も私に背を向けたまま、動かない。私は、必死で笑いをこらえながら、「早くねなさい!」と言い捨てて、明かりを消したのだった。
 このことを、妻に話して、二人で大笑い。特に次女の右手、右足が空中に彷徨い、のけぞった体勢は見事で、そのまねをして、大笑いしてしまった。
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by namuko06 | 2006-07-18 17:09 | 日記
赤ちゃんに触れないでコミュニケーションできるのか?
 雨の日曜日、図書館はいろいろな人でごった返していた。雨だというのに、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた親子が多いように見えた。幼稚園、小学生と親子連れなども非常に多かった。そのせいか、とてもにぎやかで、子どもの発する奇声だけでなく、無遠慮に声の大きな大人の会話なども多く、ゆっくり本を読んで選ぶといったことは、まったくできなかった。
 さて、私が本を探していると、突然後ろで、赤ん坊のわめき声がしたので、びっくりして、振り向くとベビーカーの中で、両足を踏ん張って「ギャー」っと泣き声を立てている。図書館の雑踏と化した雰囲気にあきたのだろうか、おなかがすいたのだろうか、生まれて数ヶ月の赤ん坊は、とにかくこの場所にいるのが不愉快らしい。母親は椅子に座って本を読んでいたが、
 「○○ちゃん、ちょっとだまってて」
と言っただけで、赤ん坊をあやそうともしない。赤ん坊を睨み付けている。目で赤ん坊を制止しているように見えた。そこで赤ん坊がだまったので、さすが母親の「ひとにらみ」は違うな、と感心しながら、私は本選びに戻った。
 数秒後、ふたたび後ろから「ギャーギャー」と泣き声。またも不覚をとって、びくりとしてしまったが、泣き声が継続しないので、ほっておいた。
 ところが、この泣き声はだんだんとエスカレートして最後には悲鳴のようになった。そのたびに母親は「静かにしなさい」「いいかげんにして」と言葉で赤ん坊をコントロールしようとしていたが、まったくの無駄のようだ。
 ふと、「なぜ、この母親は自分の読書をやめて、赤ん坊をベビーカーから抱き起こすなり、顔を近づけて、あやしたりしないのだろう」と考えて、思わずこの母親をじっとみつめてしまった。そして、この母親と視線があってしまった。彼女はさすがに迷惑とおもったのか、私の視線に避難の色があったのかわからないが、ベビーカーを押して図書館の隅の方へ行ってしまった。そのせいか、一瞬泣き声は止まった。しかし、隅の方で赤ん坊は再びぐずりはじめ、私が図書館にいる間、何度となくこの赤ん坊の悲鳴を聞いた。
 見る限りにおいて、まだ自分で立ち上がることも出来ず、言葉も発することが出来ない赤ん坊が、「ギャー」と周囲の迷惑になるような音量で泣く行為に対して、この母親は自分の読書を中断することなく、効果のない言葉による制止を何度か試みた。それらはすべて失敗で、赤ん坊は自制を完全に失ってしまったが、この母親が、なぜ私の妻のようにぐずり始めた子どもに触れて、何が原因なのか理解しようとしないのか。うちの場合は紙おむつは使わなかったので、ほとんどの場合、おむつが洪水で鳴いているケースが大半だったが。
 赤ん坊が泣くことが迷惑ではなく(赤ん坊の仕事は泣くことと、眠ることだ)、泣いている原因を理解して取り除かない、母親の行為(この場合、行動しない行為)が迷惑なのだ。もし、このことをこの母親に言ったならば、「私はちゃんと子どもに言い聞かせています」と反論されるだろう。言葉によるコミュニケーションが成立するのは、もうちょっと年齢が経たないと無理ではないかと思うのだが、最近の赤ん坊は進んでいて、母親の言葉や視線をノンバーバルなものとしてコミュニケーションできる力があるのかもしれない。
 しかし、触ってもらえない赤ん坊は不幸である。泣くという自己主張を永遠と続けなければならないのだから。泣いても泣いても、コミュニケーションしたい相手が皮膚感覚として現れないのだ。これがずっと続いたとしたら、泣くこともあきらめ、皮膚感覚でのコミュニケーションもあきらめてしまうのだろうか。
 今日の、この母親は、いったい何の本を読んでいたのだろう。彼女の心理状態も少々知りたくなってきた。泣いている赤ん坊に触ることが出来ない母親だとしたら、彼女も不幸である。
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by namuko06 | 2006-07-09 22:12 | 日記
私は次女
 次女が2歳〜3歳頃の話である。当時私たち家族は4階建てアパートの1階に住んでいて、階段登り口の横に、各階の住居者用の物置がずらっとならんでいた。うちの場合、そこには、ベビーカーや子どもの自転車、子どもの屋外用おもちゃなどをしまっていたのだが、鍵など掛けずにいた。だから、長女は敷地内の公園やグランドで遊ぶときは勝手に、おもちゃや自転車を取り出して、遊んでいたのだ。ご近所さんも年代が同じの人々が多く、子どもも多かった。
 さて、ある日、長女は幼稚園にいってしまい、妻は次女と散歩に行こうとおもい、
 「おさんぽ、いこうね」
と言ったところ、次女は、自分の靴をだして、はいて、玄関ドアを開け、さっさとひとりで出て行ったそうだ。あわてて後を追いかけてみると、表の物置の扉を必死であけて、ベビーカーを取り出し、階段の登り口まで、持ってきて、そのベビーカーにのこのこと登り、どかっとシートに座り、じっとしていたそうだ。そう、散歩に行くのにベビーカーに乗っていこうという魂胆だったのだ。
 妻は、この次女の行動に最初は感動していたのだが、「散歩いこうね」というキーワードに反応するように、自分で勝手にベビーカーをもってきて、乗り込む姿を何度も見て、
(こいつ、歩きたくないのだな。)
とやっとわかったそうだ。そのおかげか、当時の次女は横綱級の体格を持ち、近所の同じ年齢の子どもたちよりもはるかに大きく、重かった。
 
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by namuko06 | 2006-05-26 18:41 | 教育/子育て
原因不明のトラブル
長女が4歳ぐらいのころだったと思う。私は最新型のインクジェット・プリンターを購入し、即座にセットアップを始めた。さっそくMacintoshから、子どもの写真などを印刷し、できばえに感心していたところ、長女がじーーっと、プリンタを見ている。
 「おもしろい?」
 「うん、ぎーこ、ぎーこっていってる」
ほー、音が面白いのか、と思っていると、
 「なかで、うごいている。」
と指をさす。その先には、シートフィーダーが。確かに印刷するときに、ジーッという音をたてて、紙を吸い込み、ぎーこ、といって紙を繰り出して、シャーと音を立てて印刷している。そのシートフィーダーが気に入ったのか、食い入るように長女は見つめていた。
 「ここにね、紙を入れて、マックから印刷するんだよ」
 「ふーん。入れると、ぎーこって動くの」
 「そう、そう」
こんな、会話をしたと思うのだが、この会話がとんでもないことになるとは、このときには気がつかなかった。私は、買ったばかりのプリンタの印刷の出来に満足して、舞い上がっていたのだ。

 翌日、再び印刷をしようとしたところ、プリンタはうんともすんともいわない。いや、ジジーとモーターの稼働音はするが、紙を吸い込み、印刷を開始しない。昨日買ってきたばかりのプリンタに不具合が...と頭の中が真っ白になった。
 しばらく、考え込み、様々な点をチェック。プリンタケーブルの交換、インクの取り外し、取り付けなど、セットアップを再度行うなど、出来うる限りのことをしたのだが、現象は変わらない。こうなると、初期不良を疑い、さっそく購入店へ持って行った。そして、現象を告げたところ、
 「初期不良のようですね。すぐに確認しますので、しばらくお待ちください」
と言われて、待っていたところ数分間。
 「お客様」
と呼ばれて、受付に向かうと、担当者のお兄さんが、ニコニコしている。
 「これが、中に入っていて詰まっていたようです。」
それは、消しゴムだった。しかも、新品の消しゴムのカバーがとってあり、真っ白の消しゴム。
 「ええ、なんでそんなものが入っていたんですか?」
と、受付のお兄さんが答えられないような質問をしてしまった。
 「それは、わかりませんけれど、なにかのはずみで入ってしまったのでしょうかね。でも、しっかり奥にはさまっていましたよ」
 結局、初期不良ではなく、修理したわけでもないので、料金も入らないということで、持ち帰ることになった。背中に店員の冷笑を感じながら。
 家に帰って、妻に話をすると、「私は入れていない」と一言で一蹴。そんなことはわかっているよと、つぎに、長女に
 「けしごむはいっていたよー」
というと、なんと
 「いれたよ〜」
とのたまうではないか。
(おまえか〜!)の怒号は飲み込んで、理由を聞きたかったが、原因不明のプリンタトラブルをたったひとつの消しゴムが起こし、それを見つけられなかったというショックに加えて、それを娘が行っていたという事実に、絶句してしまった。撃沈されてしまった。
 いまだに、なぜ消しゴムを、それも紙のケースを外して入れたのか、わからない。もしかすると、消しゴムに何かを印刷して欲しかったのか、たんに、シートフィーダーの動きを止めたかったのか、それとも父親をいじめたかったのか。
 子どもが、じーっと見つめているときは、その後に、何かが起こるのだ。それは原因不明のトラブルから始まる。
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by namuko06 | 2006-05-20 23:07 | 教育/子育て
おしごとしておいたよ
長女が3歳ぐらいの時の話である。当時私はMacintosh LC475というピザボックス型のコンピュータを家で使っていた。私は仕事で使うデータを3.5インチのフロッピーディスクに入れて、家と会社で使っていた。そのMacは、長女も絵をかいたり、CD-ROMの絵本で遊んだりすることもあり、彼女にとってもとても身近な存在だった。
 私が、フロッピーディスクを抜き差ししていると、
 「それなあに」
と聞くので
 「パパのおしごとでつかうものだよ」
 「ふーん、おしごと」
と納得したようだった。色の違うフロッピーディスクを使っていると、またも
 「それなあに」
 「おしごとなんだよ」
と繰り返す。
 私が床に座って、Macに向かい仕事をしていると、そのあぐらの中に、長女はちょこんと座って、じっと画面を見つめていたり、動かすマウスを見ていたり、じゃまをすることなく、大人しく私の仕事が終わるのをまっていた。私の仕事が終われば、自分が絵を描いたりしてMacで遊べるのを知っているのだ。
 なかなか仕事が終わらないと、遊べずにべそをかくこともあったし、Macで遊んでいる途中で、私にMacを取られるということも多々あった。このころから「まっく」というのはコンピュータを示す言葉だと言うことを覚えた。

 ある日、会社から帰ってみると、長女はにこにこして、
 「おしごとしておいたよ」
 と言う。何事かわからず、
 「そう、ありがとうね。パパ助かっちゃったよ〜」
 などと、愛想を振りまく。何か、遊んでいるのだろうと思ったのだ。妻に
 「なにしてたの?」
 と聞いても、よくわからないらしい。Macを使っていたようだが、いつもと同じように遊んでいたようで、別段かわったところはない。
 いつものように、仕事をしようとMacの前に座ると、長女はそそくさと、私のあぐらの中に座り込む。私はMacの電源を入れようとスイッチに手を伸ばそうとしたところ、目にフロッピーディスク投入口が映り、頭の中に警報ランプが点滅した。普段ならカラッポのフロッピーディスクドライブの中に、白い板のようなモノが入っているではないか。おそるおそる、それを引き出すと、なんとそれは、『スライスチーズ』だった。
 びっくりして、引き出したスライスチーズを眺めていると。
 「おしごとしておいたよ」
 と長女の上機嫌の声が聞こえる。
 (おまえかー!)という怒号が頭の中をよぎるが、
 「これはね、チーズだよ。食べるものでしょ。ここには食べるものいれても、おしごとできないんだよ。わかった?」
 長女は少し考え
 「うん、わかった」

 どうやら、長女は、Macにフロッピーディスクを入れることが仕事だと思っていたらしい。それで、先にいれておけば、私の仕事は終わって、自分がMacで遊べると考えたようだ。
 それにしても、電源入れなくて良かった。入れていたらフロッピードライブの中は、チーズが粉々に飛び散って、大変なことになっていただろう。しかし、長女がよくスライスチーズとフロッピーディスクが同じ大きさだと気がついたなと、感心したのだった。親ばかである。

 
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by namuko06 | 2006-05-18 15:49 | 教育/子育て