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ふと思いついたこと
by namuko06
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テロリズムの内側
吉村昭著「桜田門外ノ変〈上〉」「桜田門外ノ変〈下〉」読了。本書は、安政7年(1860年)3月3日、桜田門外で大老井伊直弼を暗殺する水戸脱藩士で、この暗殺隊を指揮した関鉄之介の視点で書かれたドキュメンタリー(風小説)である。
 幕末の水戸学派の思想がどのように形成されたのか、今ひとつ納得していなかったのだが、本書を読んで有る程度理解できた。
 1806,7年にロシア艦が樺太、千島、蝦夷北部に来襲してきてはいたが、水戸藩の人間にとっては遠い国での出来事に過ぎなかった。しかし、文政7年(1824年)、大津浜にイギリス艦が来て、12名の異国人が上陸した事件が起きた。これは米国ペリーが浦賀に来航する29年前である。このときの水戸藩、幕府の衝撃は甚だしいものだったにちがいない。とくに直接交渉にあたった水戸藩の動揺は、毎日のように艦砲射撃を行うイギリス艦に脅かされており、生きた心地はしなかっただろう。個人的にはこの艦砲射撃は空砲で時刻を知らせるものだと思うのだが、当時の水戸藩にはそんなことは通用せず、威嚇行為に思えたに違いない。
 このような事件背景があり、もしも外国が日本に攻めてくるならば、長い直線的な海岸線を持つ、水戸藩こそ、先陣となるであろうという危機意識が醸成され、外国を排斥するためには、まずは士民の意思統一と武力増強が必要と考えていった。意思統一のためには、信仰を統一しようと言うことで、象徴となる天皇を崇拝し、神道によって人心を一つにしようと計った。このため、水戸藩内では神道対仏教といった一種の宗教戦争めいた事件が多発する。さらに武力増強は藩主から幕府への働きかけを行うのだが、なかなか認めて貰えず、水戸藩の危機感と幕府のそれの間のギャップが、水戸藩への反逆意志ととらえられてしまう。このような中で、藤田東湖のような尊皇攘夷論が水戸藩内に台頭し、幕府との歩調はますます狂ってくる。
 そして、井伊直弼が大老に就任し、朝廷の勅許も得ず「日米修好通商条約」を締結してしまう。これに反対する水戸藩主・徳川斉昭らは、永蟄居などの処分がならされ、安政の大獄がはじまり、井伊直弼の独断政治の始まりとなる。この安政の大獄は、水戸藩士をねらい打ちにしたような事件であり、藩士だけでなく、家族、親類など多くの者が投獄され獄中で死んでいったり、追放されたりした。このため水戸藩では、内政が出来ず、朝農民などのコントロールも覚束なく、経済も停滞し、ひどい状態に陥っていった。
 大獄は次々に行われ、水戸藩が取りつぶしにあうのではないか、という極限まで追い込まれた結果、一部の急進派により井伊大老の暗殺が計画され実行されたのだ。
 本来ならば、ケンカ両成敗により水戸藩も、井伊直弼の彦根藩もお取りつぶしになるところだが、赤穂浪士討ち入りのような両藩の内戦状態を避けるために、大老の死を伏せたまま子の井伊直憲へ継がせたのだった。水戸家への処罰も当主の徳川慶篤のみ軽くされるだけで、ありか割らず水戸家への弾圧は続いた。
 このため、桜田門外の変の2年後老中・安藤信正も水戸脱藩士に襲撃されるなど、幕府中枢への恨みは甚だしいものがあった。このあと、桜田門外ノ変を指揮した、関は、日本全国を逃亡旅行したが、最後には水戸藩士に掴まり、幕府に送られ、斬首されてしまう。
 桜田門外ノ変は、赤穂浪士討ち入り、二・二六事件と同様、日本の歴史的テロリズムの一つとして数えられている。本書はこのテロ実行犯側の視点でかかれており、井伊直弼を暗殺する必要性が膨大な資料をもとにきっちりと、書かれている。赤穂浪士の討ち入りは、あくまでも仇討ちと幕府の処置方法への不服申し立てであった。しかし、桜田門外ノ変は、水戸藩の実情を打開するため(弾圧から逃れるため)だけでなく、外敵から国をどのように守り、どのような方向に持って行くのかというイデオロギーの決定的な違いによるテロだったのだ。さらにいうと、この桜田門外ノ変は、単なるテロではなく、水戸藩の急進派達は、鳥取藩や薩摩藩などの同士によびかけて、井伊直弼を殺害するのと同時に、京都に兵をおくり、天皇を擁して、朝廷中心の政治体系を一気に作り上げようというクーデターだった。
 このクーデターは失敗し、テロだけが成功するという結果だったが、幕府中枢を瓦解させるには十分であり、その後、薩摩・島津久光、一橋慶喜、松平春嶽、会津・松平容保などが台頭してくることになる。そして、水戸を起点とした尊皇攘夷思想は、倒幕思想と公武合体思想へ分離し、極化していき、全国に内乱状態を引き起こしていく。
 本書を読む前は、桜田門外ノ変は、単なる水戸藩を脱藩した暴走浪人が手当たり次第起こした事件の一つだとばかり思っていたが、そうではなく、たった一回の、しかも憂国の志士によるものであることが理解できた。幕府は権威を維持するために権力を使って押し込んでくるため、支配下に置かれている者はどうしても打開するために武力を用いてしまう。他の土地や外国に逃げることさえも出来なかった中で、解決策を考えていくと弾圧している者を除いてしまうという方向に行ってしまうのはしようがないことだ、と思う。
 私個人としてはテロリズムには反対であるが、テロへ至るプロセスや思いなどは、本書を読んで十分に理解することが出来た。貴重な本である。
by namuko06 | 2006-03-02 13:08 | 読書
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